書評

『歴史の現場―幕末から近・現代まで』(五柳書院)

  • 2019/11/12
歴史の現場―幕末から近・現代まで / 松本 健一
歴史の現場―幕末から近・現代まで
  • 著者:松本 健一
  • 出版社:五柳書院
  • 装丁:単行本(246ページ)
  • ISBN:4906010849

重要なのは「一人でいて淋しくない」人間

文を書く人から骨の硬さがどんどん喪われてゆく、そんな感じを持つようになってから、松本健一の書くものを拾い読みするようになった。読んで自分の曲がった背骨がシャンとするわけでもないが、行間から古風な風が立ってくるようで、得がたい趣がある。

松本の文に登場する歴史上の人物は、いつも変わっている。読む前から歴史的に否定的な色が付いている人か、全く知らない人のどっちか。たとえば、北一輝。はじめて松本の北一輝論に出会った時は、戦後生まれの若い身空でどうして北一輝なのかといぶかしく思った。北が出れば大川周明もつづく。日本浪漫派の蓮田善明だって忘却の闇の中から立ち上る。みんな敗戦とともに滅びていった人だ。

どうしてそんな人たちに関心があるのか分からなかったが、答えは今度の本に書いてあった。「一人でいて淋しくない人間」が重要だと。

かれらはなぜ、一人でいて淋しくないのか。組織によらず、他をたのまず、みずからの内部に発光源をもつからだ、というのが、わたしの考えである。しかし、かれらはどうして、そのような精神を手にすることができたのか。それはかれらが、『畢竟(ひっきょう)おのれが最後のひとだ』と意識したからではないか、という気がする。そして、みずからが最後のひとだと意識して生きた人びとに、わたしは心惹かれるのではないだろうか。

最後の人に心惹かれる最後の人の目にしか見えないことが今の世の中にはあるらしい。たとえば、例の新しい歴史教科書を書くという問題。あの戦争とともに生きて死んだ思想家や文学者と戦後ずっと“付き合ってきた”著者の言葉の針は深くまで届く。

歴史を書くことと歴史教科書を書くことはまるでちがう、とまず言う。歴史を書くのは詩や小説を書くのと根本的に同じだから、そこには教育の場にはふさわしくない文学同様の“毒”が含まれる。

具体例として、粛軍演説で名を残す斎藤隆夫を例に引く。戦後、斎藤は軍国主義の潮流に逆らった勇気ある政治家として評価されるわけだが、斎藤は戦争については、「国家民族興亡の史実を見ても、弱国は強国に侵略せらる」と考えていた。歴史をふり返れば、別に改めて書くまでもないような事実だ。

しかし、歴史教科書にいま、『弱国は強国に侵略せらる』という一行を書き記せるか、というと、否である。この言葉は真実を穿(うが)っているがゆえに、毒をもっているからだ。教育の手段としての教科書に、毒をもった真実をそのままで書き記すことはできない。

話が硬くなってきた。硬いのだけではなくて丸いのもある。新撰組は、京都を脱出してから、組の旗印として「誠」だけじゃなくて日の丸を使っていた、と著者はいう。東北地方を転戦してゆく時、諸藩の軍と合同作戦を取ることになるが、その時の共同旗印として使った。反官軍勢は自分たちはまだ日本国を代表しているという正統性の意識を持っており、それで対外的にすでに国旗として認められていた日の丸を掲げたのだそうだ。

この一冊には、ここ数年の間に著者が書いてきた日本の近現代史にまつわる文が集められているのだが、読みながら、右を向いても左を見ても著者には生きにくい世の中だろうナア、と思わざるをえなかった。北一輝、大正九年の詠。

舟は千来る万来る中で 私のまつ舟まだ見えぬ


【この書評が収録されている書籍】
建築探偵、本を伐る / 藤森 照信
建築探偵、本を伐る
  • 著者:藤森 照信
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(313ページ)
  • 発売日:2001-02-10
  • ISBN:4794964765
内容紹介:
本の山に分け入る。自然科学の眼は、ドウス昌代、かわぐちかいじ、杉浦康平、末井昭、秋野不矩…をどう見つめるのだろうか。東大教授にして路上観察家が描く読書をめぐる冒険譚。

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歴史の現場―幕末から近・現代まで / 松本 健一
歴史の現場―幕末から近・現代まで
  • 著者:松本 健一
  • 出版社:五柳書院
  • 装丁:単行本(246ページ)
  • ISBN:4906010849

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 1999年3月7日

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