選評

『月桃夜』(新潮社)

  • 2017/07/06
月桃夜  / 遠田 潤子
月桃夜
  • 著者:遠田 潤子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(343ページ)
  • 発売日:2015-11-28
  • ISBN-10:4101800529
  • ISBN-13:978-4101800523
内容紹介:
奄美の海で隻眼の大鷲が語る、この世の終わりを待つ理由。それは甘美な狂おしさに満ちた、兄妹の禁じられた恋物語だった――。

日本ファンタジーノベル大賞(第二一回)

大賞=遠田潤子「月桃夜」、小田雅久仁「増大派に告ぐ」/他の候補作=山田港「鯨が飛ぶ夜」、佐藤千「私小説」、塵野烏炉「化鳥繚乱」/他の選考委員=荒俣宏、小谷真理、椎名誠、鈴木光司/主催=読売新聞東京本社・清水建設 後援=新潮社/発表=「小説新潮」二〇〇九年九月号

値打ち物の小説

今回の選評を褒め言葉でいっぱいにしたい。褒めることで、たとえわずかでも新人作家のみなさんの推進力を強めることに役立ちたいと願うからだ。
『鯨が飛ぶ夜』(山田港)の、「人間の憎しみや醜さや恐怖や劣等感、つまり弱さを食べて成長する鯨がいる」という発想は、とても魅力的である。学園物語の上に、友情物語や芸術誕生物語や音楽発見物語など、さまざまな物語を積み上げて一つの小説的建造物を立てようと試みた腕力にも敬意を表する。この発想からして、話の進み行きが外へ向かわずに、内へ心へと向かうのは自然の成り行きであるが、ちょっと内へ入り込みすぎた感はある。もっと外へ弾(はじ)けた方がいい。

『化鳥繚乱』(塵野烏炉)の前半は、化鳥討伐の勅命を受けて小夜の中山へやってきた若い武官貴族の話。物語は、その化鳥(月小夜という名の美しい娘に変身している)と貴族が愛し合うことになるという思いがけない展開を見せ、さらに彼女は「恋しい男を食うか、それとも化鳥として男に射たれて死ぬか」という究極の選択を迫られる。後半は、化鳥の産んだ娘が実の父親である男=討伐使と交わろうとする話。どちらも説話的気分に満ちているが、作者は心理描写を多用し、いまでは貴重な美文調を駆使して、説話をファンタジー小説へ飛翔させようと力闘する。そこのところに作者の汗が飛び散っていて快(こころよ)い。前半の緊密な構造に比べ、後半の運びが少し緩くなったのは惜しかったが。

『私小説』(佐藤千)は、二重の構造。読者がまず読むのは、枝や根や幹をつなぎ合わせて木をつくる職人が、逃げたキリンを探すお話。お話は、奇妙に揺れて、その上、ふしぎなズレを見せて、高速で進展する。やがて、この歪んだ世界に追い詰められた職人が困り果てていると、じつはこのお話は〈一人の女の子が、授業中先生が話をしたことと自分の頭にある妄想を組合せて書いている……〉ものだと分かる。ここまではとても奇体(きたい)で面白いが、しかし、自分たちが書割りの登場人物だと知って慌てるだけではだめ、登場人物たちがお話の作られ方に抗議するとか、登場人物たちが作者をお話の中に引きずり込むとか、もうひと踏張りしないと物語はおさまらない。お話が割れたところからもう一工夫したら、うんとよくなるはずだ。

悪態(あくたい)小説や悪口(あつこう)演劇はむかしからあったが、『増大派に告ぐ』(小田雅久仁)は、すばらしい比喩をちりばめた文体で、出色の悪態小説になった。なぜこれほどすてきな比喩が続出するかというと、語り手がいびつに世間を見ているからで、このいびつな視点から奇怪でおもしろい比喩が飛び出す仕組みになっている。読み進めていくうちに、世間の常識や流行(これが増大派)の方がいびつに見えてくる。ここに作者の「正義の企み」が隠されているのだろう。負のエネルギーに満ちているので、読後感はかならずしもよくないが、ときおり現われる普通の日常生活が世話味(せわみ)たっぷりによく描けているので、ほっとする。この作者は、普通の小説も上手そうである。

評者にはという注釈がつくが、今回の白眉は、『月桃夜』(遠田潤子)だった。奄美大島のはるか沖合を、カヤックで漂流する女性の前に大鷲が現われて、いきなりこう口をきく、「俺には屍肉を喰らう趣味はない」と。なんと大胆で巧みな導入だろう。大鷲が語るのは、二百年前の奄美の悲惨な階級社会であり、最下層の少年奴隷の苛酷な毎日である。その少年が一人の少女を守りながら、他人と自分を愛することを発見し、たまたま習った囲碁を唯一の武器に、この階級社会を一気に駆け登ろうとする。いたるところ名文句で飾られた文章は歯切れよく、律動的に物語を展開してゆく。もちろんその底に膨大な勉強量が隠されているのだが、なによりも、漂流の一夜と、「この世のおわりにまた会おう」という気が遠くなりそうな未来を、一編のうちに結びつけた雄大な構想がすばらしい。これこそ値打ち物の小説だ。

【この選評が収録されている書籍】
井上ひさし全選評 / 井上 ひさし
井上ひさし全選評
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(821ページ)
  • 発売日:2010-02-01
  • ISBN-10:4560080380
  • ISBN-13:978-4560080382
内容紹介:
2009年までの36年間、延べ370余にわたる選考会に出席。白熱の全選評が浮き彫りにする、文学・演劇の新たな成果。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

月桃夜  / 遠田 潤子
月桃夜
  • 著者:遠田 潤子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(343ページ)
  • 発売日:2015-11-28
  • ISBN-10:4101800529
  • ISBN-13:978-4101800523
内容紹介:
奄美の海で隻眼の大鷲が語る、この世の終わりを待つ理由。それは甘美な狂おしさに満ちた、兄妹の禁じられた恋物語だった――。

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初出メディア

小説新潮

小説新潮 2009年9月

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