前書き

『朝廷の戦国時代』(吉川弘文館)

  • 2019/12/20
朝廷の戦国時代 / 神田 裕理
朝廷の戦国時代
  • 著者:神田 裕理
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(276ページ)
  • 発売日:2019-09-27
  • ISBN-10:464208360X
  • ISBN-13:978-4642083607
内容紹介:
天皇や公家たちはいかなる存在だったのか。足利将軍や天下人と互いに利用し合った実態を解明。天皇・公家の主体性を再評価する。

影の薄い天皇と公家衆

二〇一九年四月三十日、明仁天皇の生前譲位による「御代替(おだいが)わり」により、三十年と百十三日間続いた「平成」の時代は幕を閉じた。「御代替わり」が正式に決定したのち、国内いたるところで「平成最後の○○」といった言葉を見聞きした。新元号の「令和」号が発表された時には、まさに「お祭り騒ぎ」といった状況を呈していた。今回の、明仁天皇の生前退位による譲位は実に二百二年ぶり、江戸時代の光格(こうかく)天皇(第百十九代天皇。在位一七八〇~一八一七年)以来のことであり、憲政史上初となる。

一方、戦国時代の天皇はそれまでの中世以来のありようとは異なり、譲位することなく「天皇として、天皇のまま」一生を終えている。ここでごく簡単に、「中世以来のありよう」について触れよう。戦国時代より前の時代では、天皇が譲位を行って上皇(もしくは法皇)となり、新天皇は即位(天皇位の継承を天下に示すこと)しても上皇(法皇)が「治天(ちてん)の君(きみ)」として政務をとり行う「院政」が通常だったのである。

戦国時代に立ち返ると、第百三代天皇となる後土御門(ごつちみかど)天皇が、父の後花園(ごはなぞの)天皇から譲位され践祚(せんそ・天皇の位を受け継ぎ、天皇位に就くこと)したのが寛正五年(一四六四)、二十三歳の時であった。それ以降、後柏原(ごかしわばら)天皇、後奈良(ごなら)天皇、正親町(おおぎまち)天皇とつづく三代の天皇、約百年以上の長きにわたって、譲位(生前退位)は途絶えていたのである。

後土御門天皇以下三人の天皇は、「天皇としての人生」をまっとうしたといえようが、その姿の大半はベールに包まれているかのごとく、一般的にはあまり知られておらず、影が薄い。あるいは知られていたとしても、かなり断片的・一面的なエピソードによるものである。

いわく、戦国時代の禁裏御所(きんりごしょ・天皇の住居)は「あばら屋」のごとく荒れ果てており、庶民の子どもが自由に立ち入っていた……、後奈良天皇は自筆の書や和歌懐紙(わかかいし)などを売って収入の足しに充てていた……、公家は夏の装束(しょうぞく)を持っておらず蚊帳(かや)をまとって現れた……、などのエピソード(『老人雑話』)である。もっとも、これは必ずしも事実に即していたわけではなく、今日の研究では多分に「伝説」と呼ぶべきものであることが明らかとなっている(今谷明『信長と天皇-中世的権威に挑む覇王-』講談社 一九九二、末柄豊『戦国時代の天皇』山川出版社 二〇一八)。

「戦国時代の天皇」といって多くの人が思い浮かべるイメージは、多分にこのエピソードから生まれたものであるといってよい。それは、政治的にはまったく無力な存在であり、経済的には日ごろの食事にも事欠くような困窮ぶりにもかかわらず「伝統的権威」をふりかざす守旧派、といったネガティブなものである。このほか、武家は「伝統的権威」を否定するため、天皇や公家に絶えず圧力をかけ、結果、両者は対立・抗争関係にあったという考え方や、政治的・経済的に無力であった天皇や公家は、「武家の傀儡(=あやつり人形)」に成り果てていた、という見方もなされてきた。

このようなイメージが形成されてきたのには、戦国時代の天皇や公家衆に関する研究が低調だったことに原因がある。太平洋戦争以前では皇国史観(こうこくしかん・天皇中心の国家体制を正当化する歴史観)のもと、天皇を研究すること自体、憚られる風潮があった。あるいは、研究すると言っても、やはり皇国史観にもとづき、天皇を崇拝し、その永続性を強調する傾向にあった。

太平洋戦争後は皇国史観に対する反発から、ことさら天皇を研究対象とすることを避ける風潮が生じた。また、マルクス主義歴史学が台頭し、経済的側面から社会構造を探る研究が盛んとなったことにより、天皇や朝廷に関する研究はなおざりになった時期もあった。その一方で、皇国史観の克服を目指し、天皇の存続理由を探る研究も行われはじめた。一九七〇年代以降にいたり、とくに政治史の分野で、ようやく国家や社会の中での天皇の位置づけを問う研究もなされるようになったが、戦国時代の天皇は「たんなる金冠(きんかん)」、つまり「お飾り」といった評価しか与えられなかった。

この時代の天皇の存在意義や理由を改めて検討しはじめたのは、一九九〇年代から二〇〇〇年代に入ってからである。そのきっかけとなったのは、昭和天皇の崩御(ほうぎょ・一九八九年、昭和六十四年〈平成元〉一月七日)であった。今から約三十年前になるが、新憲法(日本国憲法)下、象徴天皇制となって初めての「天皇代替わり」ということで、この時も「代替わり」をめぐる動きは注目されていた。当時、マスコミ等で、いわゆる「Xデー」や「自粛」が日夜盛んにとりあげられていたことを、記憶されている方も多いだろう。

先にも述べたように、戦国時代の天皇について改めて検討しはじめられたのは約三十年前と、比較的最近のことである。だがこの間(かん)、天皇の存在を浮き彫りにするため、とくに、武家の政治支配はどのように実現され、そこで天皇がどのような役割を果たしていたのか、という視点から研究がなされるようになり、天皇・公家と武家との関係のありようを問う、公武関係史の研究が増加した。

近年にいたり、天皇家所蔵の古文書(こもんじょ)・古記録(こきろく)類や公家の日記など関係史料が発掘され、公開・利用が促進された結果、天皇や公家衆に関する研究成果(具体的には、組織・制度・機構面や公家社会の内部構造に関する研究成果)は、とくに近世史(主に江戸時代)の分野で確実に積み重ねられてきているが、それでもなお、戦国時代の天皇の実像は、いまだ十分に解明されたとは言い難い。

というのも、これまで戦国時代の天皇については、武家との関係から検討されることが多かったため、表面的な理解の範囲にとどまっているのである。たとえば、「武家が政治支配を行ううえで天皇の『伝統的権威』を利用した」といった類いである。このような、武家による支配の「客体」と見なす天皇・公家像からのみでは、この時期の天皇や公家の存在意義や役割は見出しにくくなる。また、これまで天皇や公家については「伝統的権威」という抽象的・観念的な用語で説明されつづけてきたが、その内実にふみこんでいない点も、問題である。今後は、「伝統的権威」の一言で終わらせず、天皇や公家衆がとった行動、果たしてきた役割の一つ一つの意味を問い直す必要がある。

そこで本書では、武家との関係から天皇や公家のあり方を見るばかりではなく、天皇や公家の側から視点をあてる。当時の社会状況の中で天皇や公家が必要とされた局面・条件をふまえたうえで、そこでの天皇・公家の、もろもろの行為から、彼ら(とくに天皇)の実際に果たしえた役割・権限を具体的に追求していく。そのうえで、天皇・公家が果たしていた役割は、武家の現実的な政治支配とどのように関わったかについて、その影響面・効果も含めて考える。これにより、彼らの実態を明らかにできるだろう。これまでなされてきた「お飾り」や「伝統的権威」といった見方をくつがえすこともできるであろうし、戦国時代の「日本国」における天皇および朝廷の位置も改めて示すこともできるだろう。

[書き手] 神田 裕理(かんだ ゆり)
朝廷の戦国時代 / 神田 裕理
朝廷の戦国時代
  • 著者:神田 裕理
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(276ページ)
  • 発売日:2019-09-27
  • ISBN-10:464208360X
  • ISBN-13:978-4642083607
内容紹介:
天皇や公家たちはいかなる存在だったのか。足利将軍や天下人と互いに利用し合った実態を解明。天皇・公家の主体性を再評価する。

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