書評
『中国性愛文化』(青土社)
交わらざれば、万物興らず…か
同じ訳者による王仁湘(ワンレンシアン)『中国飲食文化』(青土社)は、まるごとおいしい本だった。それはそうと、『礼記』に「飲食男女は、人の大欲存す」。その飲食と並ぶ欲望の、男女、つまり性愛の文化のほうはどうか。欲望のあり方には過剰もあれば極端な過少もある。それをどう制御して中庸にもっていくかが性愛文化の眼目だろう。古代の中国では極端な権力の集中が極端な快楽の集中をもたらし、一方で性的快楽から排除されたまま一生を終える人びとを大量に生んだ。宦官(かんがん)の去勢手術や纏足(てんそく)のような中国独特の肉体変形嗜好(しこう)も、宮廷への快楽集中の産物だった。早い話が、白居易の「後宮佳麗 三千人」(「長恨歌」)はごく控えめな数字で、始皇帝の阿房宮には一万人余、唐代の「宮嬪(きゅうひん)はおおむね四万にのぼった」とか。快楽を独占した権力者の周囲には、複数の妻妾(さいしょう)の複数の後嗣(あとつ)ぎをめぐって宦官や妃たちの陰謀が渦巻く。後宮は嫉妬(しっと)と復讐(ふくしゅう)のはびこる地獄となり、あげくは女性たちへのすさまじい「性的圧迫と性的搾取」の場と化した。
著者はおおむね唯物史観に大枠をかりて、原始共産社会の集団婚から個別婚(一夫一妻制)への転換をモティーフに、歪(ゆが)みをもふくめた性愛文化の歴史的変容を説明しているが、説明よりは裏付けに引かれる古書の逸話に、そこらのSM小説をして顔色なからしめる凄(すご)みがある。なかんずく房中術の章が興味深い。房中術も権力者の手中に入るや堕落したが、薬食同源思想と同様、真正の道士たちは性交を健康と長寿をもたらす神仙にいたる道と見なしていた。のみならず易も、乾坤(けんこん)や陰陽の分離と合体を通じて性愛の隠喩(いんゆ)から成り立っているという。天地交わらざれば、万物興らず、つまるところ万物が性愛文化なのだ。
著者は独力で上海に性文化博物館を設立、また二万三千サンプルに及ぶ「性調査」をやってのけた人という。省みて柳田民俗学が性の民俗に冷淡だったせいか、わが国の性学はいずれも部分的断片的だった。少なくとも近代以前を生きてきた古老からの聞き取りによる「性調査」に関しては、もはや手遅れなのではあるまいか。
朝日新聞 2003年2月23日
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