書評
『タロットの宇宙』(国書刊行会)
本気で読み込めば、人生すら変えてしまうかもしれない……
アレハンドロ・ホドロフスキーはただの映画作家ではない。それは本当はカルト映画として受け止められた『エル・トポ』(69年)のときからすでにわかっていたことである。だが、我々はそれがどういう意味なのか、彼の映画がその創作活動のなかでどういう位置を占めるのか、ちっともわかっていなかった。続く『ホーリー・マウンテン』(73年)でも、それが錬金術的な精神の錬成の過程を描いたものだという理解こそあれ、本当の意味でなんなのかについて考えた人はいなかったような気がする。つまり、それはあくまでも「錬金術的な精神錬成を扱った映画」だとしか受け止められなかった。映画として観ているのだから当然のことである。それ以外にどう観ろというのか? 映画でなかったなら、じゃあなんなのか?
ホドロフスキーの全体像を日本ではじめてうかがわせてくれたのが自伝小説『リアリティのダンス』(13年/文遊社刊)である。そこでは、ホドロフスキーの映画についてはほとんど触れられない。ホドロフスキーはまず詩人として、そして演劇人として語られる。だがホドロフスキーの演劇とは単に舞台の上で上演し鑑賞するだけではない。それははるかにダイナミックで、こちらの魂を揺さぶる。ホドロフスキーが求めているのは全人格的体験だ。詩とは(芝居とは、映画とは)人間を変容させるようなものでなければならないのだ。映画とは、その体験の一部でしかない。
『DUNE』が頓挫してから『リアリティのダンス』までのあいだ、ホドロフスキーはパリのカフェでタロット・リーディングをやっているという話だった(合間に映画を作ったり、コミックの原作を書いたりしていた)。その話を聞いた時点では、てっきり映画を撮れない映画監督が仕方なしに暇つぶしをしているようなものなのかと思っていたのである。だが、もちろんホドロフスキーにかぎってそんなことはありえない。彼の映画が全人格的体験であり、サイコマジックが人格を解き、作り直す治療であるならば、タロット・リーディングがたんなる運勢占いだったりするわけはない。それはもちろん治療であり、魔術であり、現実を書き換える試みである。
『タロットの宇宙』はホドロフスキーによるタロットの解説書である。ここまで書いてきたことからわかるように、これは尋常至極なタロット解説本ではない。タロットを全人格的体験とし、人生を変える魔法にするためのマニュアルである。この本を見て、この分厚さと値段に戸惑う人もいるだろう。だが、はっきり言っておくが、これは安い買い物である。世界の見え方を変えてくれるのならば、この程度の値段はたいしたことない。これは本気で読み込めば人生すら変えてしまうかもしれない本なのだ。
ホドロフスキーは、象徴としてタロットを読むことをしない。タロット・カードは視覚的言語だとし、その絵柄にこそ意味があるのだと考える。ホドロフスキーはタロット・カード1枚1枚の絵柄を仔細に観察し、その意味するところを観想する。すべてのカードがみずからに語りかけるまでを。だが、そうやってカードの意味を見出したとしても、それだけでは何も生まれない。ホドロフスキーはそれぞれのカードの関係性を探りだす。カード同士はつながりあい、無限に広がる「タロットの宇宙」を作りあげる。タロットの曼荼羅だ。
ホドロフスキーのタロット宇宙は圧巻だ。 22枚の大アルカナは0番の「愚者」から22番の「世界」までひとつながりの前進の過程を示す。「愚者」のエネルギーは「大道芸人(魔術師)」(1番)の手で方向を定められ、「女教皇」(2番)の知識によって「女帝」(3番)として炸裂する。完成の次には破壊が来て、破壊のあとにはまた創造がはじまる。螺旋のように進行する創造プロセスがアルカナには織りこまれている、とホドロフスキーは説くのだ。個々のカードの図像に書き込まれたそのプロセス、その正しい組み合わせを丹念に読み解いていくホドロフスキーの手わざには感嘆せざるを得ない。
ホドロフスキーにとってタロットは視覚言語なので、カードの絵柄はきわめて重要である。ホドロフスキーによってタロットはオリジナル、もっとも古いかたちしかありえない。そのためにホドロフスキーはタロット印刷工房の跡継ぎであるフィリップ・カモワンとともにその復元に取り組み、もっとも原型に近いとするカモワン・タロットを作りだした(したがって、この本を本当に正しく理解するためには、他ならぬカモワン・タロットを手元に置かなければならない——この本が安いというもうひとつの理由だ)。過去にさまざまなオカルティストたちが気ままにカードの絵柄を変え、名前や順番さえも変更してきたことをホドロフスキーは「夢想とまやかしの三世紀」と痛罵する。
映画は自己変革を呼びおこさなければならない。それがホドロフスキーの考えるところであり、『DUNE/砂の惑星』がそうしたものとなるはずだったというのは『ホドロフスキーのDUNE』(13年)が語るとおりだ。タロットもまた自分を変容させ、新しい創造へ導くための手段なのだ。この本をひらき、タロットの迷宮に踏みこむ勇気がある人は、あるいは新たなる自分を見出すこともできるかもしれない。
【愛蔵版】
映画秘宝 2017年4月号
95年に町山智浩が創刊。娯楽映画に的を絞ったマニア向け映画雑誌。「柳下毅一郎の新刊レビュー」連載中。洋泉社より1,000円+税にて毎月21日発売。Twitter:@eigahiho。
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