書評
『小屋―働く建築』(INAXo)
全国各地の”極小建築”が丸ごと一冊
たとえば信州の春の野良を歩いていて、畑の向こうに作業小屋を認め、しみじみ眺め入る時がある。屋根には余ったセメント瓦を並べ、壁には波トタンをつぎはぎに張り、出入口なんかそのへんの安アパートの使い古しのドアを取り付けて、このうえなくいいかげんな作りなのに、心をうつ。こうした本格的建築と反対の領分にはじめて目を注いだのは、大正期の今和次郎であったが、しかし、以後、今さんに続いて仮設的な極小建築に関心を持つ人は現われなかった。いたかもしれないが、すくなくとも本というかたちで見かけたことはない。外国、といっても欧米にかぎられるが、いくつも写真を主とした本が出されていて、それらを手にするたびに、”小屋にかけては日本だって負けない”と思うのだが、いかんせんわが方にはタマがない。
そこに、そのものズバリの本が出た。『小屋 働く建築』(INAX出版)。小屋の定義をそのまま題にしたような一冊で、宮澤賢治や山頭火(さんとうか)の風景を追ってきたヵメラマン中里和人の写真を軸とし、”画讃”のようにして伝統の木造建築に詳しい安藤邦廣と小屋暮らしに詳しいエッセイストの宇江敏勝が文を添える。
INAX出版の小さな本であるから、東京の大手書店以外には並んでいないにちがいないが、日本においては最初で最後になるだろうこのタマを、私としては読書界に向けて撃たないわけにはいかない。
賢治はともかく山頭火の風景を追っかけてきたと聞いて、“クサイんじゃないか”と思いつつページをめくると、愛知県で採集したという物件が見開きで出現する。こういう物件には降参だ。古トタンを屋根から壁まで向きもかまわずバンバン張り、黒いタールを一面に塗りたくり、ところどころにサビが浮いている。そういうクログロとした、しかもペラペラの物体が、ていねいに畔立てし青ものが芽をふく畑のなかに立っている。情緒をはらい落とし、即物的にある。
と私の目には映るのだが、中里の付した文を読むと、
つくり手の思いが等身大のままで突っ立っている小屋。このちっぽけな建造物には、人の気持ちを和ませたり、感動を呼びさます生命力がいっぱい詰まっていた。
というようなことが書いてあって、なんかちがう。へんな”文学”が詰まってしまっている。もし文を付すなら、克明な場所とか、畑の作物名とか、カラスが飛んでいたとか、日付とか、もっと即物的、博物学的な解説の方が写真の内容にふさわしいにちがいない。
その点、加賀の白山麓の出作り小屋に触れた安藤の文は、
小屋は急峻な山中にわずかな平坦地を切り開いて築き、母屋のほかに、センジャ(便所)、ミンジャゴヤ(水屋)、クラ、ガッタリコヤ(水車小屋)、コクソゴヤ(肥料に使う蚕の糞を蓄える小屋)、ヌケゴヤ(台風に襲われたときの避難小屋)など様々な付属の小屋をつくり、またキャーチと呼ばれる自家用の菜園を備える。
のごとく、博物学的でいい。
中里の写真のほか、全国各地の”名のある小屋”の写真が大量に集められている。
磐城の鳥小屋、秋田の鳥追い小屋、大原の産屋、香川の砂糖しめ小屋、白浜のアマ小屋、新潟のアジャ(漁)小屋、浜田の泊まり小屋、四国の茶堂、鹿児島の涼み台、奄美の舟小屋などなど。
知らない小屋の方が多かった。
【この書評が収録されている書籍】
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