書評
『村落共同体と性的規範―夜這い概論』(言叢社)
ムラの実相に迫る「夜這い」考
日本の政治は国会という制度空間をながめているだけではわからない。新聞紙面の政治欄はじつはなにも語っていないのかもしれないのである。ムラとしての永田町の外側からうかがい知れない“黙契”は、その内部に入り込み身体で感じとらなければわからないのだが、内部に取り込まれると言葉を失う仕組みになっている。これをホンネとタテマエという一般論で説いてもなにも生み出さない。“黙契”を生け捕りにするためには、オモテとウラ、ソトとウチとの境界でサーカスの綱渡りよろしく立ち回るよりないのである。一九〇九年生まれで、昭和初期、行商のかたわら都市とムラを往還しながら聞き書きと調査に励み、三十歳そこそこで独自の「民俗学」を著した赤松啓介は、生来そのあたりの勘を備えていた人物なのだ。
この在野の学徒は、柳田国男を乗り越えなければならない、という。柳田民俗学には、差別や性の問題が看過されている、という。制度化された学問は、ついにムラの“黙契”に辿りつけない、と批判する。カギは「夜這い」にあると考えた。「夜這い」こそ歌謡や芸能の源流であり、個人の私事でなくムラを維持するための公事、すなわちムラの性的規範なのだ。
横になった男女の間でつぎのような問答が行われた。
「あんたの家に柿の木ありまっか/ヘェ、おます/わし登ってちぎってもよろしおますか/ヘェ、どうぞちぎってください/そんならちぎらしてもらいます」
柳田国男の「明治大正史――世相篇」は、近代の足音とともに変化した生活を記しているが、「夜這い」もまた赤松の述べるところによれば電灯の出現とともに消えてしまった。ムラの性的規範と明治国家がつくった厳格な家制度との相剋(そうこく)は、こうしてあらぬ方向から、文明によって清算されたのである。柳田民俗学の批判というより補完作業として、また網野善彦の仕事などへ架橋するミッシングリンク(失われた環)と捉えておきたい。
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