後書き
『アメーバのように。私の本棚』(筑摩書房)
文庫版あとがき
平成の初めから今に至るまで――。約二十年の間に書いた書評の中から、特に「これは残したい」と思ったものを中心に選んで、一冊にまとめました。べつだん謙虚ぶるわけではないけれど、「残したい」というのは私が書いた書評それ自体ではなくて、書評という形で紹介した本のほうなのです。世の中どう変わろうと、この本は残っていってほしい、伝わっていってほしい、読み継がれていってほしい。そういう思いをかき立てた本のかずかず……。
「残す」ことが大事。だから、私が書いた書評の出来については二の次にして選びました。例外として批判的に取りあげた本も二、三ありますが。
編集作業をしている間、たびたび一つの言葉が胸に湧いてきました。
「本の時代にありがとう」――。
電子メディアの発達・普及によって出版文化(雑誌・書籍)は大きなダメージを受けました。これから電子メディアと紙のメディアがどう折り合ってゆくのか、私なぞには予想もつきませんが、とにかく私は幸運だった。出版文化の、たぶん最も面白く活発な時代に巡り合えて、たくさんの愉しみを味わうことができた――ということだけはハッキリと言える。それを伝えてゆくことは幸運な世代の「役目」のように思えるのです。
編集作業をしながら、もう一つ、たびたび思い出したことがあります。それは私がコラムニストなる肩書で雑文を書き散らすようになった頃、たまたま会った高校時代の担任教師(私の母と同い歳の女教師)にこう質問されたこと。「中野さん、文章を書いているそうね。で、御専攻は?」――。
私は思わず苦笑しました。何しろ「御専攻」という発想自体、私には無かったので。ただもう自分の興味に突き動かされて読んだり書いたりしているだけなので。
おいしいエサを求めて、くんくんと鼻でかぎ回る犬のように。触手をのばして蠢く昆虫のように。いや、もっと原始的な生きもの。例えばアメーバのように。
「アメーバ運動」という言葉があります。辞書によれば「アメーバのように、原形質の流動によって体の一部を突き出し、仮足を形成しながら行う運動」――。
私はそんなふうにして本を読んできた。そんなふうにして生きてきた。どこまでも「興味本位」。あてどもなく興味のおもむくまま。おのずから「御専攻」的な深みや厚みには欠けるに違いない。
それでもこうして二十年間の「アメーバ的読書」の軌跡を見直してみれば、なんとなく、ほんとうになーんとなく、ひとつの個性が浮かびあがってくるようではある。「御専攻」はないが、「偏愛」は確かにある。
この「偏愛」を読者のあなたと分かち合えたら。読書の快楽を共有できたら。そうして、面白い本を一冊でも多く残していけたら。
そんなことを思いながら作った本です。
この本を企画してくださった筑摩書房の金井ゆり子さんに感謝しています。「本の時代にありがとう」という気持は、まったく一緒。わくわくと心躍らせながらの本作りでした。装丁の森ヒカリさん。甘味と渋味がいいあんばい。ありがとう。
二〇一〇年一月
著者
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