書評
『民俗と民藝』(講談社)
「暮らしの真実」透視した2人
学術用語の初期の翻訳例に、今は「真理」「真実」と訳されるtruthの訳語として「本真(ホンマ)」というのがあった。嘘みたいな話だが、ホンマのこと。ものごとを貫く「まこと」の道理を、(関西の)生活のなかに染みわたった語で訳そうとしたのである。著者によれば、柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝(みんげい)運動という、ほぼ同時期に展開された知の二つの動きも、まさに人びとが無名のままで培った「民俗」と「民藝」のなかに「暮らしの真実」を透視しようとするものであった。
ところがこの二つの動き、呼応しあう「民俗」と「民藝」という概念を軸としながら、そして事件の継起として語りだされる歴史学のなかで人びとの暮らしの連続が「無歴史」とされることに強く抗いながら、さらに後年、これまたともに沖縄に深く思いを寄せながら、なぜか論争も参照も協力もした跡がない。たった一度きりの対談も疑義の交換で終わった。
労働と歌と祭りと道徳が一体となった「常民」の暮らしを郷土の記憶のなかに探った柳田と、李朝の器や木喰(もくじき)仏や沖縄の染織に「無事の美」と「正しい工藝」を見いだした柳。著者は、不幸にもすれ違いに終わったこの二つの仕事を、一つところから生まれ、一つところへ収斂してゆくものとして、「輪唱のように歌わせたい」と願う。
二人の仕事の要を搾り込んでいった果てに浮き立ってくるのは、「自然と共に働くことを惜しまない」、「慎ましい暮らしの内側にいつも和やかな道徳を育てている」などとても単純なこと。ここに著者は、「大陸の南の端から東の島々にわたるアジアの文明を貫いて働き、絶えず生成され、結果として〈日本〉と呼ばれることになる」一つの「潜在的原理」を見とどける。
最終章で二人の仕事をつなぐものとして引かれる河井寛次郎の澄みきった言葉は、おまけというには深すぎる。
朝日新聞 2013年5月26日
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