書評

『贈与と聖物: マルセル・モース「贈与論」とマダガスカルの社会的実践』(東京大学出版会)

  • 2024/09/10
贈与と聖物: マルセル・モース「贈与論」とマダガスカルの社会的実践 / 森山 工
贈与と聖物: マルセル・モース「贈与論」とマダガスカルの社会的実践
  • 著者:森山 工
  • 出版社:東京大学出版会
  • 装丁:単行本(356ページ)
  • 発売日:2021-09-02
  • ISBN-10:4130503030
  • ISBN-13:978-4130503037
内容紹介:
人が他者に譲り,与えうるものは何か.逆に譲れず,与ええないものとは何か.本書は,モースの「贈与論」に〈譲りえぬもの=聖物〉への言及を見出し,マダガスカルの改葬儀礼において贈与と聖物がどのようにかかわるかを考察.モースにおける贈与の本質に迫る.

現代社会に復権させるべき倫理

マダガスカルはインド洋の西域、アフリカ大陸の南東の沖合にある大島(日本の一・六倍)である。その中央高地の電気も通っていない村で、公民館でのダンスパーティを抜け出した飲み足りない仲間3人(著者をふくむ)は、ラム酒を片手に他愛もない会話に興じていた。そのとき、風が運んでくる村人たちの歌声は「隠れて飲み食いするものに、死を!」と囃し立てていた。たんなる儀礼歌の一節なのだが、胸にずしりときた3人は集会の場に戻ったという。他人と分かちあう共食の慣行がある社会では、こっそり自分たちだけで会食することは倫理にもとるらしい。

ここには飲食というふるまいが他者との分かちあいであり、さらには自分の手に入れたものの一部を他者に与えるということにもなる。そこから「贈与」にまつわる人類学者M・モースの『贈与論』が浮かび上がってくる。たとえば、北米先住民のあいだにある「ポトラッチ」という贈与の祭宴にふれながら、この語が「食べ物の与え手」「飽食するところ」という意味合いをもつことに注目する。

あるいはまた、アーリア人移住後のインドにあっても、以前の先住民の慣行が残存しつづけ、古典ヒンドゥー法をとりあげながら「他人に食べ物を分け与えないということは……その食べ物を破壊することなのだ」とモースは語っている。そこから、飲食物を独占することなく他者に開いて分ち与えることは、古今東西に見られる倫理的規範という見通しが生まれてくる。

だが、贈与というふるまいは飲食にかぎられるわけではなく、モースの議論は「施し」や「歓待」を経て、「富」一般のあり方にまで考察が広がっていく。やがて、<幸運>と<幸福>の秘密は、与えること、一人占めにしないことにある、と古典時代のヒンドゥー的なものに言及しながら、考究を深めるのだ。

学術書の体裁をなしているが、人生と生活の根幹に関わるテーマであり、気合を入れて読めば、得るものも少なくないのではないだろうか。本書は三部から構成されており、著者なりに独自な研究のあり方を模索しながら、独自な研究成果を提示しようと試みている。

第一部「マルセル・モースにおける<贈与>の世界」では、もはや古典となるテクストに寄り添いつつ、「与える」という行為のもつ社会的かつ倫理的な意義を検討する。モースの論法では、諸々の事象が綯(な)い交ぜになっており、とりわけ「贈与」と「交換」とが同じ地平で論じられていることに違和感をもつらしい。「贈り物というのは、のちにお返しがなされるであろうという確信をともなって人から人へと経巡る」というのは、ニューギニア島南東の周辺諸島で見られる「クラ」とよばれる儀礼的な財物のやりとりなら確信できるが、「ポトラッチ」では保証されていないという。このような差異を解きほぐしていくと、モースのテクストには、「贈与」とともに「譲りえぬもの」が出現していることが注目される。

第二部「マダガスカルにおける<譲りえぬもの>の世界」では、著者の現地調査をもとにしながら、マダガスカル中央高地に住むメリナ人とシハナカ人との社会的実践の記述と分析に焦点をあてる。19世紀前半以降シハナカ社会はメリナ王国に征服され、入植移民がもちこんだ「石の墓」に触発されて、シハナカ人も伝来の「土の墓」を「石の墓」に建てかえた。やがて新しい「石の墓」もが分出し独立したことは「歴史」を意識させたという。そこから「家」という観念が成り立ち、「墓」の形態の変遷をたどりながら、祖先伝来の墓とそこに故人の遺体・遺骨を埋葬することには、「譲りえぬもの」が示唆されているという。それはこのような現実の集団の根拠であり目標であり、モースの用語にならうなら「聖物」なのである。そのような「譲りえぬもの」が集団の同一性(アイデンティティ)を保証しているのである。

第三部「<贈与>と<譲りえぬもの>のあいだ」では、人類学者レヴィ=ストロースが導入した「家(メゾン)」の概念に導かれながら、メリナ人における「家」のあり方、およびシハナカ人における「家」の自己生成について論じられる。いずれも墓と祖先の遺体とに結晶する形ではあるが、メリナ人は親族集団を恒久化させ、シハナカ人は自己生成の端緒にあるように見えるという。そのような「家」が基本構造としてあったとしても、それは単独では成立しないのであり、外にある「他」が必然的に組み込まれている。そこには「贈与」つまり「大勢の人たちみんな」に対して、無差別に饗応することによって「承認」されることでもある。「贈与」だけ、「譲りえぬもの」だけ、ではなく、それらの両極端の中庸<あいだ>にこそ、人間の「倫理」の原理があるという。

モースを解きほぐしながら、著者の射程は、私利私欲に走りがちな近現代社会に復権させるべき「倫理」にもとづく「経済」と「社会実践」を見すえている。集団のみならず個人としての生き方にも教唆するものがあると実感した。
贈与と聖物: マルセル・モース「贈与論」とマダガスカルの社会的実践 / 森山 工
贈与と聖物: マルセル・モース「贈与論」とマダガスカルの社会的実践
  • 著者:森山 工
  • 出版社:東京大学出版会
  • 装丁:単行本(356ページ)
  • 発売日:2021-09-02
  • ISBN-10:4130503030
  • ISBN-13:978-4130503037
内容紹介:
人が他者に譲り,与えうるものは何か.逆に譲れず,与ええないものとは何か.本書は,モースの「贈与論」に〈譲りえぬもの=聖物〉への言及を見出し,マダガスカルの改葬儀礼において贈与と聖物がどのようにかかわるかを考察.モースにおける贈与の本質に迫る.

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2022年3月12日

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