後書き

『上課記 中国離島大学の人生講義』(白水社)

  • 2020/05/27
上課記 中国離島大学の人生講義 / 王小妮
上課記 中国離島大学の人生講義
  • 著者:王小妮
  • 翻訳:ふるまいよしこ
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(260ページ)
  • 発売日:2020-02-22
  • ISBN-10:4560097518
  • ISBN-13:978-4560097519
内容紹介:
経済的繁栄がかつてない格差を生み出す中国。それでも懸命に生きる若者にどう寄り添えばいいのか。教師と学生の感動の記録
経済的繁栄がかつてない格差を生み出す中国。辺境の大学で貧困にあえぎながらも懸命に生きようとする若者に一人の教師は果たして何を差し出せるのか? 中国を深い感動で包んだ「人生」講義をご紹介いたします。

格差社会を生きる中国の大学生のリアル

かつて、著名映画監督の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が、中国天津の大学での自作上映会で「なぜあなたは貧しい中国のことばかりを題材に、海外に向けて発信しているのだ」と参加者から半ば詰問するかのように問われ、こう答えるのを聞いた。
「これが中国の現状だからです。貧しいかどうかは問題じゃなくて、ぼくは中国の現実を描きたい。ぼくはおとなになって初めて海を見ることができた。みなさんの多くもそうじゃないですか。そして、実際に中国には生まれてから海を見ることなく亡くなっていく人たちがたくさんいる。それが現実なんです」。
このとき、彼と一緒にひな壇に座っていた主演女優の趙涛(チャオ・タオ)は一番前に座っていた女子学生がさっとうつむいたのを目にしたと、あとでおしえてくれた。その学生は上映会が終わってから彼女に近づき、「自分も中国内陸の生まれで天津の大学に進学して初めて海を目にすることができた」と言ったそうだ。
彼の言葉はわたしの脳裏に刻まれ、ことあるごとに中国の茫漠さ、巨大さ、多様性、そしてわれわれ日本人の想像を超えた世界であることを説明するときに引用してきた。島国の日本からすれば決して想像もつかないが、本書を読めばそれが理解できる。大学に来るまで、海を見るどころか、列車や長距離バスにも乗ったこともなく、生まれ育った村を離れたことすらない若者たちが本当に、驚くほど普通に中国には存在しているのである。
それが、当時世界第二の経済大国になりつつあった中国の現実だった。本書は十年前の辺境の大学で学ぶ、われわれ日本人から見ればおぼこのような学生たちの姿を記録し、GDP世界二位のニュースに湧く中国で実際に多くの人たちに読まれ、多くの人たちが学生の一挙一足に心を震わせた、王小妮著『上課記』を翻訳したものである。

中国の大学環境は二十一世紀を目前に控えた一九九九年から大きく変貌を遂げた。政府が念願だった世界貿易機関(WTO)への加入もほぼ決まり、来たるべき新たな「経済復興」の時代に向けて、新しい時代にふさわしく、また世界に追いつくため、高学歴の「新世代の中国人」作りへと着手した。
それによって一九九八年には約三三・七五%だった大学合格率が、一九九九年には五五・五六%、二〇〇二年には六二・七五%と大きく伸びた。その後一旦上下しながら横ばいを続けたが、二〇一〇年には六九・四五%、翌年には七〇%を突破し、そのままぐんぐん上り続け、二〇一八年には八〇%を突破した。二〇一九年には母数となる共通大学入試の受験者は一千万人を超え、約八百二十万人(合格率はほぼ七九・五三%)が大学に入学したとされる。この数は、一九九八年当時の受験者総数二百八十八万人の約三倍にあたる。本書にも担当授業の受講者数がどんどん増えていくことに困惑する著者の気持ちが綴られている。
一方、著者自身は苦難の時代に続いて、非常に狭い門をくぐり大学に進学した世代である。著者が大学入試を受けたのは一九七七年、この年は一九六六年に始まった文化大革命によって大学入試が中止されて以来、初めて大学入試が再開された年だった。全国からこの日を待ちかねていた五百七十万人が試験場の北京と上海などほんの一部の地区に殺到したが、合格したのはわずか二十七万人。晴れて合格した人の中には、文字通り子どもを背負って授業を受ける人の姿も決して珍しくなく、人びとが純粋に知識を追い求めた時代だった。
本書にも出てくる「知識が運命を変える」という言葉は、時代にもまれた著者たちの世代の信念のようなものだった。そして、今も多くの教育者や文学者が念じ続けているはずだ。そして、それはわれわれ日本人がその歴史を振り返ってみても当てはまる。明治維新で開国した日本が急速な近代化を実現することができたのも、その教育普及率の高さに起因するといわれ、間違いなく日本の運命を変えてきたといえるだろう。
だが、今の時代、知識は人間の運命を変えることができるのか。
本書が記録した十年前の中国ではまだまだ「大学に進学すること」自体が大変難しく、その関門を突破することで「運命を変え」られるはずだと信じられていた。だが、実際に大学に進み、初めて社会に触れた若者たちは、それは「ゴール」でなく、自分たちが新たな競争のスタートラインに並んでいることを知る。彼らがちょうど卒業する二〇一〇年代になると、彼らの卒業後の受け皿となるはずだった都会でも大学卒業者がだぶつき始め、弱肉強食の戦いが始まりつつあった。
苦労して入った大学だが、また社会を前に不安な日々を送ることになった学生たち。教師の立場から書かれた本書には、世の中の荒波に若者たちがもがきつつも、いかに自分をそれに馴染ませていこうとしているかも描かれている。

[書き手]ふるまいよしこ(フリーランスライター、翻訳家)
上課記 中国離島大学の人生講義 / 王小妮
上課記 中国離島大学の人生講義
  • 著者:王小妮
  • 翻訳:ふるまいよしこ
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(260ページ)
  • 発売日:2020-02-22
  • ISBN-10:4560097518
  • ISBN-13:978-4560097519
内容紹介:
経済的繁栄がかつてない格差を生み出す中国。それでも懸命に生きる若者にどう寄り添えばいいのか。教師と学生の感動の記録

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
白水社の書評/解説/選評
ページトップへ