70近い老人映画監督がヒッチハイク!? 夢と希望とショックが詰まった冒険譚
2012年5月14日、ジョン・ウォーターズは旅に出た。ボルチモアの自宅から、サンフランシスコまでヒッチハイクで行こうというのである。「なんでわざわざそんな苦行をしようというのよ」と友人たちは言う。若いころ、ウォーターズはしょっちゅうヒッチハイクでアメリカを旅していた。だがそれは20代のことであり、60年代のことだった。すべてがゆるゆるで、ラブとピースにあふれていた時代のできごとである。今は21世紀で、ウォーターズは70近い。長距離ヒッチハイクをしようとする老人なんているわけがない。それでもなお、ジョン・ウォーターズはヒッチハイクの旅に出た。ネタにして本を書くため? 仕事のない映画監督の破滅願望なのか? この40年間でアメリカがどれだけ変わったのかを確認するためだろうか? つまりは思いついたからにはやらずにいられなかったのだろう。いたずら好きの映画監督はこの歳になっても他人にショックを与えずにはいられなかったのである。段ボールに「I70 West(インターステート70号線西行き)」「狂ってません」「中年の危機」と書いたボードを作り、リーヴァイスのブラック・ジーンズとギャップのTシャツ、パタゴニアのレイン・ジャケットというブランドづくしのブルジョアヒッピーみたいな恰好をしたウォーターズはすぐにアート・スクール風の若者にひろわれる。気持ちのいい若者ハリスは熱狂的なトラッシュ映画ファンで、2人はイザベル・サルリについて語りあう。新作企画に資金が集まらないでいることをウォーターズがぼやくと、ハリスは「ならぼくが出してあげるよ。500万ドル。キャッシュでいい?」。なんとハリスはジョン・ウォーターズ映画の大ファンで、マリファナ農園を経営している一大ドラッグ・ディーラーだったのである。なんとフェデックスで500万ドルの現金を送ってくれるというハリスはウォーターズを自宅に招待し……。いやこれいくらなんでもありえなくね?
と思ったらこれは“The Best That Could Happen”。こんなんだったらいいな~というウォーターズの夢のヒッチハイクだったのだ。その後も次々に夢のようなドライブが続き、ウォーターズはサーカスに入ったり、デモリション・ダービーのマスコットになったり、かつての親友と再会したりする。そんな楽しいヒッチハイク・ツアーのあと、今度は“The Worst That Could Happen”、つまり最悪のヒッチハイク旅行がはじまる。これは「最高の旅」よりさらにはるかにヒステリカルに圧倒的におかしい。殺人マニアの過去が襲ってくるところなど他人ごとではないよ。さてこの素晴らしい2篇のフィクションののちに“The Real Thing”、つまり本当に起きたことを書いたノンフィクションがはじまる。
そこまでの話があまりに面白いので、はたしてこれに負けないだけのストーリーがあるのだろうかと思ってしまうのだが、心配御無用。
まずそもそもの問題が車に乗れないことである。“The Best ~”でも“The Worst ~”でも、いずれも車にはすぐ拾われる。だが実際にジョン・ウォーターズが体験するのは圧倒的な待ち時間だ。親指を突き出したまま、何時間も時間も待ちつづける。雨の中、濡れ鼠になって立ちつくす70歳の老人。車はただ通りすぎてゆく。おそらくはそれこそがヒッチハイクの現実なのである。そんななか、ごくたまに拾ってくれる車があらわれ、ようやくひとつ、ふたつ先のドライヴインまで進める。ウォーターズのアシスタントは心配でGPSを持たせるのだが、あまりに位置が変わらないので故障を疑ったという。
もちろん思いがけない出会いはある。もともとこのウォーターズのヒッチハイク旅行、途中で拾ってくれたロック・バンドが「ジョン・ウォーターズがヒッチハイクしてた!」とtweetしたことから知られたのだが、そのバンド、Here We Go Magicについても触れられている。ウォーターズはバンドのツアー・バスに拾われるのだが、バンドは目撃するも一度は通りすぎ、だが「ジョン・ウォーターズだったんじゃないか?」と議論になったんで戻ってきて再度拾ったのだという。バンドとの愉快な一期一会の旅。だが、最大の出会いは彼らではなく、コルヴェットに乗った共和党員の市会譲員の若者「コルヴェット・キッド」である。彼の政治的立場を鑑み、本書では匿名になっている。「コルヴェット・キッド」はなぜかウォーターズに惚れこみ、2人は政治的立場も性的志向も超えた友情を結ぶのだ。思いがけないブロマンスが、笑いと涙のアドベンチャーの華となるのである。