書評
『落語の言語学』(講談社)
マクラからオチへ
「お暑いところを一杯のおはこびでございまして、ありがたく御礼をもうしあげます。あいかわらず、ばかばかしいことをもうしあげてお暇を頂戴いたします」八代目桂文楽「酢豆腐」のこれは丁重なマエオキ。野村雅昭『落語の言語学』(平凡社)は落語をマエオキ――マクラ――本題――オチ――ムスビという構造モデルで分析する。
マエオキは演者によってさまざま。三遊亭金馬だけには客へ呼びかける「お若輩」の訛った「おじゃっかい」が残っていた。春風亭柳橋の「一席申し上げますで」は芸歴の長さを物語る。など膨大なテープやビデオからの正確な「引用」が見事である。
マエオキの謝辞は一種のポーズであり、桂枝太郎が来場への感謝として親しい日劇のヌードダンサーに高座に上がってもらうというのをまにうけてドキドキした、というご自身の楽しいエピソードもはさまる。円朝の人情噺から滑稽噺へ、「マエオキはなぜあり、どう変化したのか」が探られる。
後半はジグチオチ、マヌケオチ、ブッツケオチ、トタンオチ、ヒョウシオチ……多様なオチの分類と効能を桂枝雀などを援用しつつ展開していく。文法用語が用いられややこしいが、オチをこれだけ活字で並べられればそれだけで壮観だ。オチは急降下。どっともりあがらせて高座をおりる。客席にはここちよい余韻がのこる、これが理想。現在の若手では時事的、風俗的なマクラはおおいにうけるが、オチは尻すぼみなことが多い、と苦言もちょっと。
「おもえば、落語とは、ふしぎな芸である。一枚の舌で、将軍や大名を高座によびだすこともできれば、遊郭や冥界にまであそぶことを可能とする」。年々、寄席の数は減り、「折れ口=葬式の忌み言葉」だの「ぎごわ(義強)=義理堅いこと」だのは死語となりつつある。かと思えば、CDやビデオでこれから落語に親しもうという若い人々もいる。
落語少年育ちの言語学者による本書は盛衰を嘆きもせず、マニアックなうんちくにも片寄らない。高座の風景もさりげなく描かれ、志ん朝、小三治、談志など現在の人気者も登場する。なまの録音を聞き返す、その作業の大変さと楽しさが伝わってくる。それをこんなさわやかな日本語でおすそわけ。幸せな気分になった。
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