解説

『明治百話』(岩波書店)

  • 2020/07/05
明治百話 / 篠田 鉱造
明治百話
  • 著者:篠田 鉱造
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(267ページ)
  • 発売日:1996-07-16
  • ISBN-10:4003346920
  • ISBN-13:978-4003346921
内容紹介:
世界史にも類のない一大変革期,明治.約半世紀に及ぶこの時代は,さまざまな逸話を生みながら変化し続けていった.実話主義を掲げる著者が,新旧の移り変りや衝突の最も激しかった明治初年の世相を聞き書きの中に再現する,百話シリーズの第2弾.(上)は最後の首斬役人・八世山田朝衛門の述懐から銭湯・床屋の昔話まで50話.(全2冊)

聞き書きの神様

十二年ほど、古老の聞き書きをやっている。いまでは八十、九十歳でも若々しく、“老”をつけて呼ばれるのを嫌がる人も多いが、老人というのは、さまざまな世を見、浮き沈みにあって、人格も鍛えられ、知恵もついた人のことである。いわば人生の先輩、心からの尊敬をもって、“老人”という風格ある言葉を用いたいと思う。

聞き書きとは、町をあちこちかけめぐり、人の話を聞いて、記事に起こすのであるから、傍目にはよほど大変の所業と思われそうだが、大変はその通りながら、始めれば必ずやみつきになるような楽しい仕事である。

幕末から維新へかけての古老の話は奇抜で、珍妙で、想像もつかない面白いことずくめであった。世の中がコセコセせず、悠暢であった。

と著者篠田鉱造は、『明治百話』(岩波文庫)に先立つ『幕末百話』(昭和四年、万里閣書房版)の復刊の序に書いている。

彼は明治三十五年、報知新聞の記者をしていたころ、こうした幕末維新期の実話を集め出し「夏の夜ばなし」として連載した。安政の大地震、桜田門事件、薩摩屋敷の焼討ち、上野の彰義隊、廃刀から丸腰、士族の商法などを見聞きした人がそのころは、まだ大ぜいいた。東京生れの著者も、周囲からそのような話を聞かされて育ったにちがいないが、子どもにはそんな昔話は耳タコだったろう。

祖父母逝き、父母老いて、そうした話が繰返されなくなってから、俄かにその話が聞きたくなった。(『幕末百話』)

そんなものである。運の良いことに、篠田が聞き書きを始めたときは、幕末維新の実話が聞けるラスト・チャンスでもあった。しかし『幕末百話』が最初に公刊されたときは、同時代の人が「そういえばそうだったわね」という追憶・確認程度に読まれ、そう評判にならなかったという。ところが昭和に入ると、幕末を知る人はほとんどあの世に行ってしまい、この聞き書きは二度とできない、貴重な側面史実――いわゆる稗史(はいし)となって残り、輝くのである。

『明治百話』は、聞き書きの面白さにめざめた篠田がひきつづき、そのうちきっと明治の話も分からなくなる、との使命感と意気込みで明治の末年ころから採取し、退社後、昭和六年にいたって刊行されたものである。連載であった『幕末百話』に比べ、行数の枠がなく、興味にひかれるまま自在に書きつづった。蓋し、二十年近い努力のたまものであり、明治生活風俗史の紙碑といえよう。これだけ内容の濃い聞き書き集をつくるために、この何倍かの人に会い、話を聞き、史料を調べ、いわゆるウラも取ったと推測される。

聞き書きを始めてから、私は篠田鉱造の著作は一通り揃え、くり返し読んできた。『海舟座談』の巌本善治や『光雲懐古談』(『幕末維新懐古談』岩波文庫)の田村松魚、『戊辰物語』(岩波文庫)の子母沢寛らと並んで、神様のような人である。しかも篠田鉱造の仕事の量は他と比べて圧倒的である。そして元勲や有名人でなく、篠田は市井の名もない人々の話から、明治の生活史のつづれ織りを作るという、誰にも真似のできない偉業を達成した。

このたび『明治百話』を再読してみて、テープレコーダーのない時代によくもまあ、このような克明な記録ができたものと驚嘆した。

私は実話は実話でも、実話聴取と同時に、その気分を取入れないものは、実話でないという主義です。

というように、ここには髪結い、魚屋、火事師(ひごとし)、写真屋、書生、警察官、探偵、看護婦、呉服屋の番頭、とさまざまな職業、階層、地域の語り口がそのまま生かされている。その口吻が髣髴としてくる。

実をいうと私もあまりテープをとらない。言った言わないで裁判となるアメリカのインタビューアーは必ずテープを取ると聞くが、ふつうの市井の人はテープを取られるのを嫌がる。緊張して固くなる。ノートを出すのさえ嫌がる人もいる。テープがたまりすぎるのも困りものだ。

それでメモをとるのだが、『明治百話』は文章が音となって立ち上がってくるようである。きっと語尾のクセや特徴的な言い回しも書き止めておいたに違いない。かなりの速筆だったであろうと察する。

そのおかげで『明治百話』はさながら「明治語事典」ともいうべき効能がある。

「浮世を茶気に暮して、ノホホンでいた訳ですが」「全く江戸気分に出来上っていましたよ」「遊興気分がたんまりただよって」「煽動とモッコには乗らない」「勝手気儘の熱の吹きっこ」「のんのんずいずい繰込むと」「大名屋敷を六ツばかりブッコ抜いた内」「吹けば飛びそうな人」……こんないかにも明治らしい洒落た表現をいくらでも拾えるのである。

また『明治百話』にはルビがたくさんついているので、私たち戦後生れではなかなか読みにくい地名、人名も読むうちに頭に入るし、妻女(かない)、拙者(てまいども)、許可(おゆるし)、観客(けんぶつ)、扮装(いでたち)、群集(ひとごみ)といった口語とその漢語的表現の対応も知らず知らず覚えてしまう。

さらに、決してモノの本には載っていない業界用語(符牒)を知る楽しみもある。掏児(すり)の世界では金側(きんかわ)時計を「ウグイス」、紙入れを「ダイ」、芸妓を「オシャマス」、警察署を「ムロタ」といったそうである。一方、巡査の世界では見回り警部のことを「オバケ」、巡査を「モエギ」、出来心の盗賊は「出来星」、土蔵破りは「むすめ師」といったなんてことも、他の本ではなかなか知ることができない。

『明治百話』の唯一の恨みは、話者の名前と採取年月日がないことである。これは話としての面白さを無記名のうちに解放しようとしたのであろうし、あるいは情報源秘匿やプライバシー保護のためかも知れない。また百話が年代順でもなく、土地もあっち飛びこっち飛び、テーマ別でもないので、いささか散漫のような気もする。いやこれこそ漫筆、手控えといった楽しい手法だろう。私は欄外に自分にとってのキイワードをひき出し、人物・事項索引代りに用いている。本書があまりに整序されていないことが、かえって読者にそのような努力を強い、また何度もくり返し読む必要を生じさせる。

篠田は東京の町の細かいたたずまいを記録してくれている。その土地に由縁がなく興味のない者には読みすごす所でも、地域史研究者にはありがたい。

私にとっては、根津八幡楼のおいらん花紫が心中未遂で入院したとき看護した人の話や、根津で貸座敷を経営しながら探偵の二足のワラジをはいていた清宮善四郎という人のことなど、じつに興味深かった。たとえば、

今の溜池の電車通りが、溜池の沼で、星ケ岡の山王の森を見晴し、景色がとてもよい時代でした。渡船があって、文久で渡し、後ち五厘となったもので、蓮ほりの爺さんが内職に船を漕いでいました。

からはじまり、角や横丁に何屋があり誰が住んでいたか住宅地図レベルでの細かい記述がつづく。頭の中に地図を描いてゆく醍醐味を知った者にはこたえられない。ともかく、電車通りの所がそのむかし、溜池で渡し守がおり、狐狸の棲家だったとは当時の聞き手も読者も驚いたろう。それをまた七十年ののちに読む私は、高速道路下の溜池交差点やアークヒルズの高層ビルを思い、うたた今昔の感に堪えない。

地誌の記述とともに面白いのは、人物スケッチである。実際に見知った人の人物評はつよい。

刑場でその首を斬った首斬朝右衛門は、死に際の高橋お伝が、前に斬られる囚人に「お前さんも臆病だね、男の癖にサ」と自若にみせて、いざとなると「情夫(いろ)に一眼逢わせてほしい」と死ぬ間際まで男の名を呼びつづけていたことを述べる。

一代の名優市川団十郎は、若いころは貧十郎といわれるほどだったのに、年収四万円と威(えら)くなった。「実際は随分俗人物で、とんでもない穿違(はきちが)いもあった人物です」と評価されている。

なかでも興味深いのは明治十三年、箱屋の峯吉殺しで稀代の悪女とされた花井お梅である。カッとする癖のあるお梅に「あんな事をいったのが、私のあやまりでした」と死にゆく峯吉は後悔していたという。「実はあなた、ホンのハズミで峯吉が馬鹿々々しく殺されてしまったことですよ」と梅川の女将は語っている。

そうした有名人ならずとも、ここには市井の人生、ふつうの人の生き死にが多く描かれる。浮世の荒波はよって来たるもの、その中でもまれながら人がどうしのぎ、食いつないでいくか、その世渡りの方法が見事で面白い。

元五百石の旗本で、禄を離れた鬱憤を酒に晴らし、三十四人も妻を替えた人もいる。明治二十年ころは、三、四十女の口すぎがむずかしく、迎える人があればいくらでも縁(やっ)て来たものだという。これも時世をうつして面白い。

かと思うと席亭の主人が商売替えし、扇夫と名乗って出揚げをはじめた。いわばお座敷天麩羅の元祖のような人だが、二つの箱に材料が水から粉から油、鶏卵が分量ぴたっと納まり、箱を空けて揚げ台をつくり、人数分過不足なく揚げる。その器用なこと、手取り早いこと、最後に鍋の油を掃除するとき、残しておいた卵の黄味を玉子焼にして差出し、「ヘイこれでお仕舞いでございます」というと主客がヤンヤと喝采する。その手妻使いのようなきれいさがいかにも江戸の通人を思わせるではないか。

明治四年、赤坂生れの篠田がいちばん伝えたかったものは、この江戸・東京的気分とでもいうものだろう。九鬼周造は「いき」とは意地とあきらめと媚態の混淆であるといったはずだが、まさにそれが通底している。

座敷を一つも汚さずに天麩羅を揚げる親父の意地、六十人の大一座を一人で切って回してみせる芸者の意地、よる年波で力も入らないのになぜか八町四方に上野の鐘の音を余韻嫋々響きわたらす鐘撞番のじいさんの意地である。

そして薩長藩閥政府に蹂躙(じゅうりん)される東京を「ご時勢ですな」と嘆きつつ、そこにはまらぬのんきな生きかたをめざすあきらめである。

そうしたのんきさが「洒落ッ気」といって、江戸の文化文政度から、明治の初年に伝わり文明開化の欧米風に反抗したものでした。反抗したというと、大袈裟ですが、なろうことならチョン髷あたまに、上下(かみしも)でもつけて、こうしたのんきな旧幕の風俗を、形式にも精神にも維持しようとした。

いくら学問や地位があっても「洒落が一つ解らねエ玉」だと糞味噌だった。和漢の文学、滑稽、逸話珍話に通じてないとその洒落の解釈に骨が折れたというからむずかしい。「茶番」というものがはやり、それもくだくだしくてはいけない。サラサラしたのが良いなどという所は、幸田露伴、森田思軒、饗庭篁村、宮崎三昧ら根岸党の面々を理解する上でも役立つ記述である。

これらのすべてが、篠田鉱造なかりせば湮滅(いんめつ)してしまったことを考えると空おそろしくなってくる。

「よくマアいろいろ忘れ物を集めてくれた」という親友福良竹亭の嘆息そのままである。

人間はたえず更新してゆく。私が聞き書きをはじめた十二年前、日露戦争を覚えている明治二十年代生れの人、明治末年までの団子坂菊人形を覚えている三十年代生れの人は、まだまだ町にお元気だった。現在では“明治生れ”の方も少なくなってしまった。大正の大震災の話を聞くのすらかろうじて間に合う、という感じである。

逃げはせぬ資料調査を後回しにして、せっせと古老を訪ね歩いてはいるが、その膨大な作業にめげそうになるとき、私はいつも『明治百話』を思い出して励みとする。

最後に、自由学園を作った羽仁もと子の運が開けたのは、報知新聞の記者になったからだそうだ。女性ジャーナリストの草分けとして彼女が頑張れたのは、村井弦斎、篠田鉱造ら机を並べた同僚の偏見のない処遇、当時の報知の自由な雰囲気にあったという。そのエピソードを最近知って心温まるものがあり、篠田鉱造はますます親しい存在になった。

【下巻】
明治百話 / 篠田 鉱造
明治百話
  • 著者:篠田 鉱造
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(297ページ)
  • 発売日:1996-08-20
  • ISBN-10:4003346939
  • ISBN-13:978-4003346938

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【この解説が収録されている書籍】
深夜快読 / 森 まゆみ
深夜快読
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:1998-05-01
  • ISBN-10:4480816046
  • ISBN-13:978-4480816047
内容紹介:
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明治百話 / 篠田 鉱造
明治百話
  • 著者:篠田 鉱造
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(267ページ)
  • 発売日:1996-07-16
  • ISBN-10:4003346920
  • ISBN-13:978-4003346921
内容紹介:
世界史にも類のない一大変革期,明治.約半世紀に及ぶこの時代は,さまざまな逸話を生みながら変化し続けていった.実話主義を掲げる著者が,新旧の移り変りや衝突の最も激しかった明治初年の世相を聞き書きの中に再現する,百話シリーズの第2弾.(上)は最後の首斬役人・八世山田朝衛門の述懐から銭湯・床屋の昔話まで50話.(全2冊)

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