後書き

『ヒロシマ―グローバルな記憶文化の形成―』(名古屋大学出版会)

  • 2020/08/05
ヒロシマ―グローバルな記憶文化の形成― / ラン・ツヴァイゲンバーグ
ヒロシマ―グローバルな記憶文化の形成―
  • 著者:ラン・ツヴァイゲンバーグ
  • 翻訳:若尾 祐司,西井 麻里奈,髙橋 優子,竹本 真希子
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(424ページ)
  • 発売日:2020-07-15
  • ISBN-10:4815809941
  • ISBN-13:978-4815809942
内容紹介:
原爆とホロコーストの交点へ――。かつて「75年間は草木も生えない」と言われた都市は復興を遂げ、平和記念公園は「穏やかな」聖地と化した。どのようにして? 追悼・記念や観光をめぐる記憶の政治、証言とトラウマ、絡み合う犠牲者言説などに注目し、世界のなかのヒロシマの位置を問い直す挑戦作。
ホロコーストと原爆、まったく異なるこれらの出来事を結びつけて語ることにどのような意味があるだろうか。このたび邦訳が刊行された『ヒロシマ』の著者ラン・ツヴァイゲンバーグは、「日本語版へのはしがき」の中で次のように述べている。

“イスラエルと日本の生存者は、同じように悲劇の烙印を捺されてきました。被爆者が戦後の経験を語った、その生き延びた人々の物語、そうした物語をめぐる人々の理解の欠如、困難と希望の葛藤、家族の重要性など多くの点が、ホロコースト生存者の経験とよく似ていました。彼らの沈黙さえもよく似ていました。驚いたことに、被爆者の装いや話し方さえもが、私の祖父母と似ていたのです。それは本当に不思議なことでした。”

そして研究を進めるなかで、それは単なる感覚の問題ではなく、深い歴史的・人間的なルーツがあるということを、ツヴァイゲンバーグは理解したという。

“ヒロシマとナガサキの歴史は、ホロコーストの記憶が展開したその仕方によって形づくられ、またそれと結びついていました。この物語は、それを経験した人々にとってまさしくローカルで個人的なものでしたが、それはグローバルな歴史の一部でもありました。”

世界のなかのヒロシマの位置を問い直す挑戦作、『ヒロシマ』。この本の内容を、訳者あとがきより抜粋して紹介する。


遠い過去ではなく――広島という都市が今いちど重要な意味をもつように

今年は広島・長崎への原爆投下75周年である。戦後世界史は核戦争の危機を何度も経験しながら、4分の3世紀の時を刻んだ。その間、被爆者は核兵器の残虐性を語る証言者となり、核兵器廃絶のメッセージを世界の人々に送り続けてきた。すでに日本の国内法上は、1955年に5人の被爆者が裁判所に訴え出て、米国の原爆投下は戦時国際法・国際人道法違反であり、したがって戦争犯罪であるとする判決(1963年東京地方裁判所)が確定している。その後の1960年代以降も、原水爆禁止運動の政治的分裂にもかかわらず、核兵器廃絶は被爆者の共通の願いであり、反核集会に限らず国内的にも国際的にもきわめて多様な場で、被爆者の証言活動が今日まで積み重ねられてきた。

そして、まさしくこの10年間に、核兵器廃絶への国際的な動きが一挙に進んだ。2010年代の前半には、5年ごとに開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議と関連して、核兵器の非人道的影響に関する議論が積み上げられた。その上で、2015年末の国連総会で核兵器禁止条約の交渉を進める決議、翌年末には同交渉開始決議が採択された。そして、2017年に同条約(核兵器の開発・実験・製造・貯蔵・移譲・使用・威嚇・配備の禁止)が122ヵ国の賛成で採択された。現在その署名と批准の輪が大きく広がりつつある。ヒロシマ・ナガサキの声は、今や世界の人々の声になったのである。だが、肝心の「唯一の被爆国」日本の政府は、この条約の議決過程で反対票を投じ、核兵器保有国と一体となって国際世論に背を向けている。なにゆえに、そうした状況に至っているのか。

そのことを理解するためには、グローバルな視野で日本戦後史を見直すことが必要であろう。ここに訳出した、ラン・ツヴァイゲンバーグ『ヒロシマ――グローバルな記憶文化の形成』(Ran Zwigenberg, Hiroshima : The Origin of Global Memory Culture, Cambridge University Press, 2014)は、そうした要請にこたえようとする最先端の研究である。その内容は、原書の冒頭に掲げられた次の紹介文に簡潔に要約されている。

1962年に広島の平和代表団とアウシュヴィッツの生存者組織が、アウシュヴィッツの犠牲者の遺骨を含む遺品を交換し、互いの証言を共有した。それは、文字通り死者が生者の政治に引き出された、象徴的な出会いであった。本書はこの出会いをもとに、バラバラになった世界の再建と再定義のために記憶がどのように利用されたかを探究する。すなわち、ホロコーストおよび第二次世界大戦の記憶のグローバルな展開を背景として、広島における原爆の想起や記念・追悼についての論争的な歴史を描き出した研究である。ツヴァイゲンバーグは、1950・60年代における核問題の重要性を強調するとともに、「明るい平和都市」としての広島の再建を通して、さらには記念碑、博物館、観光産業、精神医学の発展、そして生存者=証言者像の出現とそのグローバルな記憶実践への影響を通して、グローバルな記憶文化の形成を跡づける。

著者は、1976年にイスラエルで生まれ、ホロコーストを生き延びたユダヤ人を祖父母にもつ。中・高等教育を終え、1999年、米国に渡って歴史研究の道に進み、「ヒロシマ」をテーマにニューヨーク市立大学に博士論文を提出、現在はペンシルヴェニア州立大学で准教授を務めている。本書は、その博士論文をもとにして出版されたものであり、2016年に米国アジア研究協会著作賞(ジョン・ホイットニー・ホール著作賞)を受賞している。著者は長期にわたって広島に滞在し、この「歴史の場」に深く入り込んで、実証的な研究方法を実践した。それも、文献・史料の博捜という古典的方法のみならず、被爆者などへのインタビューを積み重ねるオーラル・ヒストリーを併用したものである。

こうして、一方ではホロコーストとヒロシマをつなぐグローバルな視野と、他方では「歴史の場」への密着による、外からの広い視野を持ちつつ内に入り込んでの言説解釈に、換言すればグローバルな主題とミクロな歴史アプローチの結合という試みに、本書の新しい挑戦がある。そして、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』の日本戦後史研究の問題意識を継承しつつ、しかしそのダワーの東アジア・太平洋レベルの広角をグローバル・レベルに拡大し、同時に焦点を絞って密度の濃いヒロシマ戦後史像を提示した点に本書の最大の特徴をみることができる。

目次を見れば一目瞭然であるが、本書で検討されるトピックの多彩さは、従来の内外のヒロシマ戦後史研究と比較しても際立っている。また、それらのトピックをめぐって検討される言説の範囲も広く、1950年前後の邦語および英文観光パンフレット類、アボル・ファズル・フツイや河本一郎の文書、広島・アウシュヴィッツ行進関係史料などは、著者によってほとんど初めて取り上げられた。それらと併せ、中国新聞など多数の文献や被爆者をはじめとする多彩なアクターたちの生の声を通して、ヒロシマ戦後史の「語り」の軌跡が豊かに描き出されている。

そして、本書によって示されたのは、この軌跡の多彩さと豊かさにもかかわらず、その出発点から尾を引いたゆがみの問題である。それは、とりわけ旧西ドイツの戦後史と顕著な対照をなす、冷戦期を通して戦争責任を封印し続けた日本戦後史の問題と重なっている。すなわち、満洲第七三一部隊などの細菌戦と原爆攻撃という日米の戦争犯罪を隠蔽して不問に付し、米国の核戦略に基づく反共防壁国家として、米国主導で日本再建を推進した日米支配層合作の政治路線であり、この路線のいわばお先棒を担いだヒロシマ戦後史である。

ありていに言えば、大陸進出とアジア・太平洋戦争への出撃拠点としての軍都広島は、原爆によって「世界平和都市」に生まれ変わったという論理で、原爆遺産を観光資源として国の特別援助を引き出し、「復興」と近代都市への一新を実現する。いわば「近代性を抱きしめて」の再生という、ほかならぬ最高度の「近代性」(核の科学技術)の犠牲者の逆説的な負の軌跡である。

このような日本・広島戦後史像は、ユダヤ人と日本人という、二つの民族の対照的な、現代史におけるトラウマの比較の視点によって裏付けられている。すなわち、一方ではなんの戦闘準備もなしに、「羊のごとく」従順に収容所に連行されて大量殺害された。他方は、神がかりの戦争動員によって、「羊のごとく」従順に戦闘配置について地獄に落ちた。その対照的な戦争体験から戦後、一方はひたすら武力に依拠する国家の建設を目指し、他方はもっぱら武力放棄(平和憲法)をたてまえとし、米国の武力に依存して国家の再建を果たした。そうした対極的な、しかし第二次世界大戦の記憶という、同質的なトラウマに基づく二つの戦後史像である。このイスラエル(ホロコースト)と日本(被爆)の記憶の巨視的な比較・関係史、すなわちグローバルな記憶の歴史学の視野こそ、本書の最大の魅力である。

本書の問題関心は、9・11と3・11後の現在にある。核テロさえも予見させる米国の同時多発テロ事件と福島原発事故を経験した時代、原爆・原発という高度科学技術の災厄を意識せざるを得ない危機の時代である。この危機の時代状況は、現在では地球温暖化問題やパンデミックが加わり、いっそう先鋭化している。それゆえに、被爆者によって伝えられた恐怖の記憶と平和への思いを継承し、世界の人々と手をつないで歴史の「切断」に立ち向かうことがいっそう切実に求められている。しかし、世界の人々と手をつなぐためには、なによりも過去の確執を解きほぐす隣国との相互理解が必要である。それゆえに、「トランスナショナルな正義」という本書の結びの言葉が重要である。中東のイスラエル(核武装をした著者の母国)と同様、東アジアの中の日本(米国の核の傘に依存した被爆国)にとって、この言葉こそ次の4分の1世紀に向かっての試金石なのである。

[書き手]若尾祐司(名古屋大学名誉教授)
ヒロシマ―グローバルな記憶文化の形成― / ラン・ツヴァイゲンバーグ
ヒロシマ―グローバルな記憶文化の形成―
  • 著者:ラン・ツヴァイゲンバーグ
  • 翻訳:若尾 祐司,西井 麻里奈,髙橋 優子,竹本 真希子
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(424ページ)
  • 発売日:2020-07-15
  • ISBN-10:4815809941
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