大正天皇の御製に
遠く奈良平安の昔から天皇は風雅な資質をお持ちの方が多かった。そういう中で、大正天皇がとりわけて漢詩を善くされたことは特筆すべき事かもしれない。最近『天地十分春風吹き満つ』(錦正社刊)という本が公刊された。これはその大正天皇の御製漢詩の注解で、西川泰彦さんの労作である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2006年)。
さて、私は大正天皇の和歌について、かつて「大正三・四年の豊饒」という小文を、大正天皇御製集『おほみやびうた』の別冊栞にものしたことがある。つまり、御病弱であった大正帝にとって、大正の三年と四年は夥しい和歌の佳什に満ち、この両年がもっとも豊かな実りの時であったことが分かるのだが、では漢詩はというと、やはり大正の二年から五年ころまでが豊饒の時であった。
たとえば、大正三年の春の作『禁園所見』という五言古詩を読むと、普通私たちが立ち入ることのできない吹上御所の森のありさまが手に取るように分かる。
便宜、西川さんの読み下しによってこれを一読してみたい。
禁園何ノ見ル所ゾ
樹湿(ウルオ)ヒテ雨、痕アリ
林間幽石横タハリ
苔生ジテ風漸(ヨウヤ)ク温カナリ
長松何ゾ磊落(ライラク)ナル
径辺盤根(バンコン)ヲ認ム
竹林晴日ヲ帯ビ
幾処カ龍孫(リョウソン)ヲ長ズ
逍遥自ラ意ニ適(カナ)ヒ
一笑労煩(ロウハン)ヲ解ク
黄鴬時に宛転(エンデン)
行(ユクユク)草花ノ繁キヲ看ル
しっとりと春雨が降って、鬱蒼たる木々の幹を雨水が伝ったその痕が目にしるい。帝はその林間の径を行かれたのであろう。すると、そこここに埋もれたような石がひっそりと置かれ、一面に苔が覆って、上吹く風もいくらか暖かく和らいで感じられる。目を上げれば、枝を差し交わした松が空を覆い、道の辺には古松の根がうねうねと盛り上がっている。
竹林には葉の間を漏れた陽光がチラチラして、そちこちに筍が頭をもたげているのが見える。
この林下を逍遥することはまことに心に適い、自から微笑まれて心の鬱結もいつしか解けようというものだ。
ふと帝の耳目は鴬が枝々を渡るのを見聞きさされ、道のほとりには早くも草花が繁りあうのを発見されるのである。
この辺りの描写からその風景を想像すると、まるで深山幽谷の趣が横溢して、ああ日本の帝はこういうところにお住いなのであるかと、西欧の霸王たちの煩いほど人工的な王城の佇まいとの違いが際やかに印象される。帝はこの禁園の庭を歩かれて、鬱気を散じられることが実際にいくらもあったのであろう。
日本の天皇というのは、かくのごとくに風雅を日々の糧としてお過ごしになっておられた平和なる存在であった。そのことを、こういう詠草が改めて私どもに教えてくれるのである。