書評

『監獄裏の詩人たち』(新潮社)

  • 2020/07/28
監獄裏の詩人たち / 伊藤 信吉
監獄裏の詩人たち
  • 著者:伊藤 信吉
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(257ページ)
  • 発売日:1996-10-01
  • ISBN-10:4103019034
  • ISBN-13:978-4103019039
内容紹介:
利根川河畔に長塁を連ねる赤い煉瓦塀の前橋監獄。明治21年開設以来幾多の風雨に耐え、世間を隔てて、今も残る煉瓦塀。詩人たちは窺い知れない、その塀の中への哀切の思いを、歌に詩に絵画に刻んだ。秩父事件、破獄、文学者と監獄との関わり、囚人の仕事等々。書かずにいられなかった1世紀に亘るこの異域の挿話を文学的に実証的に掘り起こす。

監獄の見てきたもの

二年ほどまえ、前橋に行った(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1997年)。

詩人伊藤信吉氏の展覧会と講演会が喚乎(かんこ)堂という書店で開かれる。喚乎堂はかつて「赤と黒」の詩人萩原恭次郎がつとめていた。彼のかかわった白山南天堂を調査している私はそれだけで行きたくなった。大阪の詩人寺島珠雄氏にお供して行くことにした。

前橋は詩人を多く生んだ土地である。

喚乎堂は予想外に大きな本屋だった。数階建てのビルで品揃えにも気が入っているし、小さくとも立派なホールを持っていることに、この土地の文化への構えが見てとれる。盛況で、そのあとの懇親会でも、参加者は伊藤さんとは直接縁のない私を許容して下さった。みんなが九十を越える、髪がふさふさと白い詩人を心から敬愛しながら、それぞれ勝手に楽しんでいる会の雰囲気がなごやかだった。

翌日、同行の詩人向井孝氏が前橋カンゴク、いまの前橋刑務所を見に行こうといい出した。

それは赤レンガの壮大な建物だった。日本的スケールをはるかに超える、バロック的空間であった。門から中をのぞいていると看守が飛んできて無表情にここは立入禁止です、といった。私は前にある店で、囚人が作業で作ったという小さなテーブルぼうきを買った。

その刷毛のようなほうきは、仕事机の消しゴムのかすを掃くのに毎日使う。使うたびに前橋カンゴクを思い出していたら伊藤信吉『監獄裏の詩人たち』(新潮社)が刊行された。 “信吉つぁん”(とあの会の人たちは発音した)は元気だなあ。三十数年間、この監獄に興味を持ちつづけ、膨大な未刊行資料を踏査して、九年かかってこの本を書いたということにまず驚かされた。

きっかけは萩原朔太郎「監獄裏の林」である。

監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり。
いかんぞ我れの思ふこと
ひとり叛きて歩める道を
寂しき友にも告げざらんや。
河原に冬の枯草もえ
重たき石を運ぶ囚人等。
みな憎さげに我れを見て過ぎ行けり。
暗鬱なる思想かな
われの破れたる服を裂きすて
獣類(けもの)のごとくに悲しまむ。
ああ季節に遅く
上州の空の烈風に寒きは何ぞや。
まばらに残る林の中に
看守の居て
剣柄の低く鳴るを聴けり。

引用が長くなった。一部を引ける作品ではない。大正十四年、四十歳で上京した朔太郎は『純情小曲集』を出すが、その中の「郷土望景詩」十作に、翌年この詩を追加し、「郷土につながる哀傷と激越の叙情」をしめくくった、という。

同郷の詩人朔太郎のこの詩を反芻し、著者は監獄の歴史をひもとく。前橋監獄は明治二十一年一月の開設。いまより人は簡単に捕まる時代だった。政治思想犯もいたし、刑はじつにすみやかに執行された。

たとえば前橋監獄支署の時代、明治十八年五月十八日に処刑された小林酉造、新井貞吉という二人がいる。秩父困民党事件の群馬県側の参加者だ。判決言い渡しは一月二十九日、四ヵ月もせずに処刑、所要時間十七分。立会った医師萩原密等。

著者は「前橋監獄沿革史」を見てえっと声を発せんばかりに驚く。「密等」はおそらく「密蔵」の書き誤りだ。帝国大学医学部別科医学を明治十四年、首席卒業、群馬県立病院副院長だった萩原密蔵、すなわち詩人朔太郎の父。

さらに前橋監獄の附属地、すなわち病院、差入屋、囚人死亡埋葬地一万五七六一坪のほとんどは八木始という人の所有地である。

八木始。厩橋藩士、百五十石。維新後、県師範学校副校長、のちに勢多郡長。その長女が八木ケイ。すなわち朔太郎の母。

このつながりの不思議。本書は丁寧に資料を読む者に、神の啓示のように与えられるさまざまの発見に彩られている。

巣鴨監獄にこだわって画題とした中川一政のこと、室生犀星がジャーナリストとしてくぐった金沢監獄とそれを油彩で描いた中野重治のこと。前橋刑務所にいた「人生劇場」の吉良常のこと。囚人の焼いたさくら印の煉瓦のこと、刑務所内で印刷された多くの詩歌誌のこと……。

もしやと思い七十年前に自分の発行した詩雑誌「耽美祭」を出してみたら「印刷人・前橋市宗甫分申三〇九 根岸亀寿郎」となっていた。すなわち前橋刑務所印刷であったことに気づくくだりもある。もしかして? ほんと? どれくらいの大きさ? 時々現われる疑問符や感嘆符は、著者の想像力と若々しく震える心を示す。いや、この自由な叙述は九十年生きてこそ獲得できるものかもしれない。監獄、作業償与金、携帯乳児などの用語にいちいちひっかかるのも鋭い言語感覚と抵抗精神を示している。

煉瓦塀秋のまひるにながながと物なつかしき大空のもと 萩原恭次郎

「監獄・刑務所の煉瓦塀では国の『重要文化財』指定は無理なのだろうか。どうであれ、そこにそのままの形でそれが在れば、それが最高にいい!」

そうだ、前橋刑務所は日本近代の証人なのである。

【この書評が収録されている書籍】
深夜快読 / 森 まゆみ
深夜快読
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:1998-05-01
  • ISBN-10:4480816046
  • ISBN-13:978-4480816047
内容紹介:
本の中の人物に憧れ、本を読んで世界を旅する。心弱く落ち込むときも、本のおかげで立ち直った…。家事が片付き、子どもたちが寝静まると、私の時間。至福の時を過ごした本の書評を編む。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

監獄裏の詩人たち / 伊藤 信吉
監獄裏の詩人たち
  • 著者:伊藤 信吉
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(257ページ)
  • 発売日:1996-10-01
  • ISBN-10:4103019034
  • ISBN-13:978-4103019039
内容紹介:
利根川河畔に長塁を連ねる赤い煉瓦塀の前橋監獄。明治21年開設以来幾多の風雨に耐え、世間を隔てて、今も残る煉瓦塀。詩人たちは窺い知れない、その塀の中への哀切の思いを、歌に詩に絵画に刻んだ。秩父事件、破獄、文学者と監獄との関わり、囚人の仕事等々。書かずにいられなかった1世紀に亘るこの異域の挿話を文学的に実証的に掘り起こす。

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アステイオン

アステイオン 1997年1月号

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