書評

『金閣を焼かなければならぬ』(河出書房新社)

  • 2020/10/06
金閣を焼かなければならぬ / 内海健
金閣を焼かなければならぬ
  • 著者:内海健
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(228ページ)
  • 発売日:2020-06-20
  • ISBN-10:4309254136
  • ISBN-13:978-4309254135
内容紹介:
金閣放火僧・養賢。その動機は結局わからなかった。それは一元化できない。分裂病発症直前の、動機を超えた人間の実存を追う。

動機は原体験の後から来る

一読、巨(おお)きな一幅の絵を見た思い。システィナ礼拝堂の天井画、アダムの指先のリアルさにまがう、細部のリアルさは細密画の如く、しかし、全体が訴えるものは大きくて深い。読み終わって、魂に木霊するような静かな亢(たか)ぶりがある。

テーマは極めてはっきりしている。著者自身言われるように、二人の男の物語である。一人は、金閣寺を焼いた放火犯、僧侶になりきれなかった林養賢(はやしようけん)という男である。もう一人は、その男の行為を、稀有な文学作品『金閣寺』へと昇華させた三島由紀夫。

この二人を結ぶ仲介役は、自ら得度をはじめ、養賢と酷似した体験を持ち、養賢への限りない同苦の思いをもって、労作『金閣炎上』を書き上げた水上勉をはじめ、小林秀雄からカフカにいたる文藝世界の人々、カントを筆頭に思想家、哲学者、そしてクレッチマー以降の著者自身の専門である精神病理学の研究者たちと、驚異の多彩を極める。その上、水上もそうだったが、対象についての資料渉猟・実見努力は、目覚ましい。前半、養賢の生い立ち、家族関係、師弟関係など、また裁判記録や精神鑑定に関する記述まで、著者の筆は詳細に亘(わた)る。

しかし、そうした記述は、単に「客観的」描写ではない。時折挟まれる養賢の心の分析、あるいは、人間の知覚と感情に関する著者の透徹した立ち入りによって、読者は、恰(あたか)も養賢という人間に同調し、彼自身の魂を追体験しているようにさえ思わせられる。例えば、著者は小林秀雄の「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」という名文句を引いて、話は逆だ、と言う。涙が先で「悲しみは涙に追いつけない」のだ。これは、単なるパロディではない。

ここで著者は、W・ジェイムズの立論に触れながら、「悲しみ」のような「感情」は、「後から」生まれるもので、「涙を流す」ことのような「原体験」(著者の言葉を借りれば「感覚刺激」)こそが、人間の出発点でなければならない、というのが著者の真摯な哲学的理解であることを、見事に明らかにしているのである。原体験に言葉を与えることで、私たちはことを理解したと考えるが、言葉を与えた瞬間に、そこから漏れてしまうものがあることが示される。著者自身そうした経験をお持ちらしいが、評子自身(自分のことを語るのをお許し戴くとして)、ある映画の中で、マヘリア・ジャクソンの「主の祈り」を歌う場面に出会い、終わったときに自分が滂沱(ぼうだ)として涙を流していたことを思い出す。そのときの自分の「感情」を何と名付けるか、は明らかに「後」の話だった。

養賢の動機についても、著者は慎重である。養賢自身が自らそうであるように。後人はそこに解釈を与えなければ気が済まない。当人にとって動機も「後」から来る、というのが著者の主張である。

他方精神医学の専門家として著者は、養賢が結局分裂病(著者はここで意図的に統合失調という言葉は使わない、ここでも著者は言葉を使った<名付け>の意味を問う)であるという判断を肯(うけが)うが、分裂病に関する詳細な理解が説かれた上で、そのことに鋭く気づいた三島が次のテーマとなる。三島がこのテーマに強い関心を抱いたのは、水上とは全く違う。三島は、この作品を転機として、肉体の改造にとりかかり、彼特有のナルシシズム――三島に冠される常套句だが――は、別のベクトルを持つようになる。その意味で、三島の制作活動の一つのピーク、あるいは完結体を著者は『金閣寺』に認めているようだ。その一つは、極致にまで磨き抜かれた硬質の言語表現が、著者の言葉に依(よ)れば「シアトリカル」、つまり恰も劇場劇を眺めているような形式ではなく、三島には珍しい一人称語りと絶妙にドッキングしているという点である。

三島の作品のなかで溝口と名付けられた主人公の魂の軌跡を辿るという形を借りて、三島の筆は、人間の心理描写や、動機の分析を超えて、三島自身の、人間としての、いや、もしかしたら、稀有な芸術家としての自我に、天から降りてきた言葉、つまり、リアルな人間の原体験を小賢しく限定する言葉を超越する、言霊の世界を映し出す。

そのことは、著者に、三島は分裂病にはなり得ない、という、一見奇矯な判断を引き寄せる。それは三島の認識には「凄絶な緊張がみなぎっている」、あるいは「自己言及という背理が自我を崩壊させる危うさ」とは無縁である、という言葉にも、鮮やかに立ち現れる。

小林秀雄の言葉はここでも裏切られる。彼は『金閣寺』を動機小説と見做した。しかし、著者は別の観点を差し出す。やや抽象的な表現ながら、三島が目指すのは「ある意識宇宙の究極である」と言う。そして、そうした表現の無限遠点に、溝口が金閣を焼かねばならなかった動機がようやく浮かび上がる。それは、養賢においても、同様であったのだろうか。

確かな書物を読んだ後の魂の亢ぶりは、まだ続いている。
金閣を焼かなければならぬ / 内海健
金閣を焼かなければならぬ
  • 著者:内海健
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(228ページ)
  • 発売日:2020-06-20
  • ISBN-10:4309254136
  • ISBN-13:978-4309254135
内容紹介:
金閣放火僧・養賢。その動機は結局わからなかった。それは一元化できない。分裂病発症直前の、動機を超えた人間の実存を追う。

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毎日新聞 2020年7月25日

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