書評
『灰色の輝ける贈り物』(新潮社)
六人の子供がいる貧しい一家。父親は冬になると出稼ぎに行く。困窮の中、妻は夫にきっぱりと言い渡す。「馬を売らないとね」。役に立たない老馬を置いておく余裕はないと。でも、この馬はまだ父親が結婚する前、孤独に耐えきれず泥酔した自分を、雪の降る中、一晩中でも待っていてくれた心の友なのだ。
が、結局は売ることになる。稼ぎの少ない夫は妻に抵抗することなど出来ないから。家畜商に反抗してトラックに乗ろうとしなかった馬が、父親が手綱を取るやいそいそと乗り込んでいくシーン。二束三文の金と引き換えに馬が連れ去られてしまった後、語り手の幼い弟が鶏小屋の中で小さな斧を振り回して泣きながら暴れるシーン……。
カナダの“知られざる偉大な作家”アリステア・マクラウドの短篇集『灰色の輝ける贈り物』所収の「秋に」は、わたしの心の中にしっかりと根を下ろし、おそらく生涯離れていくことはない。いや、その他の七篇とて。ここには、日本の小説に描かれなくなって久しい父の姿がある。炭坑やロブスター漁などの肉体労働に従事する、逞しく寡黙な父親がひっそりと、しかし、たしかな手応えをもって存在しているのだ。
自分の仕事に誇りを持っていながらも、子供たちには高い教育を与えてやりたいと思う。その反面、自分と一緒に働いてほしい、新しい家庭を自分のそばで築いてほしいという根源的な願いもある。相反する想いに引き裂かれるから、父の口は重くなる。根源的な願いのほうに忠実なその妻は、子供を手元に留めることができなかった夫に失望する。そして、都会で肉体を使わない仕事につき、滅多に里帰りもしない子供たちは小さな罪悪感を抱えている。そうしたつつましい家族の姿を、マクラウドは愛情と丹精を込めて描くのだ。
地味ではある。どこまでも静かな八篇なのだ。でも、ここには滋味がある。人の気持ちを凪いだ海のように穏やかにさせる、しみじみと深い感動がある。そして、この中の一篇を読むだけで、あなたは知ることになるはずなのだ。この作家の名前が、心の中にしっかりと根づいてしまったことを。
【この書評が収録されている書籍】
父は凍える寒さのなかで馬が一晩中自分を待っていたとは信じられなかった。結わえていたわけではなく、待っている必要もなかったのに、キュッキュッと雪を鳴らして足踏みし、凍りついていた馬具の下で筋肉を震わせながら、待っていたのだ。その日まで、父は生きているものに待っていてもらったことなどなかった。父は白い霜に覆われたたてがみに顔を埋め、じっとそこに立ちつくしていた。重くなった黒い毛のなかで、父の頬に冷たい水滴がビーズのようにしたたり落ちた。
が、結局は売ることになる。稼ぎの少ない夫は妻に抵抗することなど出来ないから。家畜商に反抗してトラックに乗ろうとしなかった馬が、父親が手綱を取るやいそいそと乗り込んでいくシーン。二束三文の金と引き換えに馬が連れ去られてしまった後、語り手の幼い弟が鶏小屋の中で小さな斧を振り回して泣きながら暴れるシーン……。
カナダの“知られざる偉大な作家”アリステア・マクラウドの短篇集『灰色の輝ける贈り物』所収の「秋に」は、わたしの心の中にしっかりと根を下ろし、おそらく生涯離れていくことはない。いや、その他の七篇とて。ここには、日本の小説に描かれなくなって久しい父の姿がある。炭坑やロブスター漁などの肉体労働に従事する、逞しく寡黙な父親がひっそりと、しかし、たしかな手応えをもって存在しているのだ。
自分の仕事に誇りを持っていながらも、子供たちには高い教育を与えてやりたいと思う。その反面、自分と一緒に働いてほしい、新しい家庭を自分のそばで築いてほしいという根源的な願いもある。相反する想いに引き裂かれるから、父の口は重くなる。根源的な願いのほうに忠実なその妻は、子供を手元に留めることができなかった夫に失望する。そして、都会で肉体を使わない仕事につき、滅多に里帰りもしない子供たちは小さな罪悪感を抱えている。そうしたつつましい家族の姿を、マクラウドは愛情と丹精を込めて描くのだ。
地味ではある。どこまでも静かな八篇なのだ。でも、ここには滋味がある。人の気持ちを凪いだ海のように穏やかにさせる、しみじみと深い感動がある。そして、この中の一篇を読むだけで、あなたは知ることになるはずなのだ。この作家の名前が、心の中にしっかりと根づいてしまったことを。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする
































