書評
『スミラの雪の感覚』(新潮社)
雪の感覚と数学
前回に続いて、これもまた書名に惹かれて『スミラの雪の感覚』を手にした。作者は一九五七年生まれのデンマーク人、ペーター・ホゥ。たちまちヒロイン、スミラのとりこになった。スミラの語りのとりこに。
一人称小説のむずかしさは、ひと口にいうと、主人公が出ずっぱりということだろう。主人公は語りそのものだから、語りがひよわだったら読者は主人公を、そしてその小説を見放す。
スミラの語りは強力で、その力の核になっているのが、書名も匂わせている「感覚」のただならなさだ。
三十七歳になるスミラは、イヌイットの血をひいて北グリーンランドのカーナークに生まれ、北大西洋をへだてたデンマーク本土で高等教育を受け、いまはコペンハーゲンで暮らしている。ある日、同じアパートに住む少年、イザイアが屋根から落ちて死ぬ。事故死とみなされるが、屋根の雪に残されたイザイアの足跡にスミラの腑に落ちないところがある。スミラは、雪が読めるのだ。
北グリーンランドを地図でたしかめると、北緯八十度に近い。すぐ北には「永久浮氷界」のきびしい五文字も並んでいる。それほどの酷寒の地で暮らすのだから、雪が読めなくては命にかかわる、ぐらいは想像できる。
だがスミラの能力は天気観望のはるか上をゆく。北グリーンランドでの少女時代、真冬の氷原で濃霧に閉じこめられたとき、その感覚が突如開花した。
私たちは集団的盲目状態に陥った。犬でさえたがいに身を寄せあった。だが私には霧などまったく存在しなかった。気持ちが高揚し、燃えあがるような生き生きとした感情がわきあがってきた。……私は先頭の橇(そり)に乗せられた。いまでも、自分とカーナークの家をつなぐ銀色の糸をみんなで走っていくときの気分をよく覚えている。曲がり角が夜の闇に浮かびあがる一瞬前に、私はそれがあることを察知した。
のちに数学に出合って、何があれば心底、幸せな気分になれるかと訊かれたら、数と答えるわ、雪と氷と数、とまで言いきるくらい数学にのめりこむ。雪の感覚と数学。異能同士がどこかで通じあうのだろう。
こうしたラジカルな天稟をさずかっては、半端な生き方はできなかったろう。三十七歳になるまでスミラは結婚もしなかったし、子供を産んだこともない。自分を昂然と、きつい荒くれ女、と呼んではばからない。
そういうスミラだからこそ、唯一心を許し、かわいがっていたイザイアを失って、嘆き、落ちこむ姿はよけい痛ましくて、がんばれ、一匹狼、と声をかけながらの読書だった。
イザイアの死の真相を突きとめようと、スミラは行動をおこす。尻尾も正体もあるのかないのかわからない人物が出没する。謎めいた出来事にはさらに奥があり、つかんだ手がかりは真冬のコペンハーゲンの深い闇にのみこまれる。
ミステリー仕立てだが、僕はむしろ、ことごとに過敏、多感に反応して過飽和になっていくスミラの語りのほうに、吹雪に巻きこまれたみたいに眩惑されてしまった。あとは、絶妙な方向定位感覚を働かせて、五里霧中を直進するスミラについていっただけ。まさに銀色の糸を走る心地だった。桜の季節に、雪の感覚をたのしませてもらった。その先にあったのは、カーナークの、なつかしく温かな家ではなくて、身も心も凍りつくほどの人外境だったが。
作者のホゥはなんと、バレエダンサーだったらしい。
【この書評が収録されている書籍】