書評

『奇想の系譜』(筑摩書房)

  • 2021/01/03
奇想の系譜 / 辻 惟雄
奇想の系譜
  • 著者:辻 惟雄
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(275ページ)
  • 発売日:2004-09-09
  • ISBN-10:4480088776
  • ISBN-13:978-4480088772
内容紹介:
意表を突く構図、強烈な色、グロテスクなフォルム-近世絵画史において長く傍系とされてきた岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら表現主義的傾向の画家たち。本書は… もっと読む
意表を突く構図、強烈な色、グロテスクなフォルム-近世絵画史において長く傍系とされてきた岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら表現主義的傾向の画家たち。本書は、奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特徴とする彼らを「奇想」という言葉で定義して、"異端"ではなく"主流"の中での前衛と再評価する。刊行時、絵画史を書き換える画期的著作としてセンセーションを巻き起こし、若冲らの大規模な再評価の火付け役ともなった名著、待望の文庫化。大胆で斬新、度肝を抜かれる奇想画家の世界へようこそ!図版多数。

日本のマニエリスムの展望

私事に亘るが、かつてG・R・ホッケの『迷宮としての世界』を翻訳していたとき、西欧の隠された鉱脈のなかからつぎつぎに発掘されてくる目も綾な金属の輝きになかば眩惑されながら、私は一方で、心ひそかに、わが国の伝統のなかにもかかる隠された鉱脈に似た秘宝が埋蔵されているにちがいないし、またそれを採掘し収集する前人未踏の冒険は、あまたの波瀾をふくみながらもさぞかし興味津々たる壮挙であろうと想像していた。

このような期待は、しかしむろん私一個の伝統芸術や民俗に関するきわめて限られた知識、というよりは端的に無知のしからしめる誤解に発するもので、篤実な奇想絵画研究家たちがとうから報われることのすくない地道な研究を着々と営んでいた形跡は、本書末尾の文献解題からも如実に見てとることができる。また私の期待のほうも、それはそれなりに、ほどなくして精力的に公にされた広末保氏の絵金に関する研究、鈴木重三氏の国芳をはじめとする幕末版画研究、高橋徹氏の英泉に関するエッセイなどによって部分的にかなえられはしたのである。だが、なによりも待ち望まれていたのは、奇想面の神統系譜学がこれらのすぐれた個別研究の間にパノラミックな展望をもって定立されることであった。

辻惟雄氏の『奇想の系譜』は、その意味で私にとってまさに出現すべくして出現した待望の書であった。マニエリストなら concetto と名づけたにちがいない奇想画に執着しつづけた六人の特異な画家の作品と生涯が、戦国末期の血なまぐさい動乱の記憶に終生つきまとわれた画家岩佐又兵衛から、ようやく明治維新の前夜にさしかかった歌川国芳まで二つの転形期の間にわたって、ときには実証的にときにはエッセイ風にくりひろげられる。

なかで著者のもっとも得意とするらしい岩佐又兵衛研究は稠密な資料に裏づけられてさすがに圧巻である。血しぶきと火焔が血へどをぶちまけたような暗い赤によって面面のいたるところに激発し、首なしの武者や、冬瓜のように無雑作に山積みにした生首や、腐爛して皮を剝いだ胎児のように変形した盗賊の屍体が、これでもかこれでもかとばかり執拗に提示される。絵巻「山中常盤」「堀江物語」の全篇を覆うこの血のサディズムは、著者によれば信長によって一族皆殺しにされた摂津伊丹城主荒木村重の妾腹の子として生まれた又兵衛の呪うべき幼時記憶によるらしいが、同じく流血の嗜虐趣味に彩られているにもせよ、西欧の殉教画が、その地獄の責苦にもかかわらず、しかもなお鮮烈な救世主信仰の一条の光に和められて一沫の安らぎを感じさせるのにひきかえ、救済を約束するいかなる信仰もなくいたずらに非業の死のうちに屠られたこれらの血だるまには、目を覆わしめるはてしない修羅の底なし沼が待っているだけである。
思うにもしも、画家が、たとえば「豊国祭図屏風」に見られる町人庶民の潑剌たる生活への旺盛な関心と、同じ作品の謝肉祭の仮装舞踏者のような異装者たちのグロテスクな群衆描写における暗いユーモアの感覚を知らなかったとすれば、この徳川初期のサディズム画家もまた、二百五十年をへだてて幕末に出現した無惨画の後裔たる大蘇芳年と同じく、狂死の宿命を免れなかったにちがいないのである。

又兵衛を筆頭に、目次は、奇妙な幾何学的秩序の造型に憑かれたパラノイアックなキュービスト狩野山雲、博物誌的幻想を孤独のうちにくりひろげた伊藤若冲、メタリックなマチエールによって佶屈剛毅な幻想世界を構築した特異なユートピアン曾我蕭白、奇矯な線の演戯の達人長沢芦雪、最後に歌川国芳を配しているが、私自身の好みからいえば、伊藤若冲、蕭白、国芳にとりわけ興味をそそられた。難をいえば、せっかく国芳まで進めた筆の余勢を駆って、欲をいえば北斎を新しい角度から論ずる手際が期待されたし、すくなくとも又兵衛にはじまった著作を芳年芳幾の無惨画で結んで頂きたかったと思うや切であるが、おそらく著者は後日の続稿に満を持しているのであろう。

話は変わるが、数年前国立近代美術館で催された「東洋の幻想」展に、上の画家たちのなかの何人かの原画が展示されたのを記憶している。なかでもいまだに脳裡に灼きついているのが、題名を失念したが伊藤若冲の台所道具のこわれ物が化けて出るという奇妙な着想で描かれた作品と、国芳のアルテンボルド風の「人集って人と成る」をはじめ、一連の金魚の姿態に女の浮薄な生態を託した底意地の悪い風俗画「金魚づくし」であった。国芳はともかく、若冲の作品といえばお目にかかったのは後にも先にも上の一点だけであったから、辻氏の著書に収録された十数点の作品はまことにかたじけなく、私はあらためて若冲の仕事に驚異の目をみはる幸運に浴した(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1970年)。

かりにいま若冲から西欧のマニエリスム画家の誰かを思い浮かべるとすれば、細密なアラベスクを一種さめた陶酔に誘う白昼夢の細部を思わせる精緻な色彩感覚で綴った「動植綵絵」の画家は、なによりも静かな精神錯乱の気配に画面の隅隅まで浸されたモンス・デシデリオの世界の血縁者であろうと思う。しかし一方で、貝甲図、池辺群虫図、蓮地遊鮎図、薔薇小禽図、群鶏図など、装飾化された自然を背景に珍奇な博物標本図の数々を描いた若冲は、ルドルフ二世の宮廷に集まっていた、ヨリス・ヘーフナーゲルやヤン・ケッセルのような昆虫・奇魚・植物・奇獣・貝殻などの標本画家たちを髣髴とさせる。形態描写の正確さにおいてルドルフの宮廷画家たちは後の自然科学的標本図画家の先達であったとしても、珍奇《ラリテート》を身上として幼児的なコレクション遊びに興じる眼はなお魔術的な内幻視に導かれて、その昆虫や水棲動物や貝類の甲殻・表皮はいずれもふしぎにエロチックな光被に覆われている。妻帯もせず随棲な孤独のうちに自然のオブジェだけに囲まれて作画三昧に過したという若冲は、おそらく典型的な幼時退行傾向の画家だったのであろう。ルドルフ二世が宮廷内に珍奇な動植物を収集した動物園や驚異博物館を擁して画家たちの想像力を刺激したのと府合して、友人の薬種商吉野寛斎が金にあかせて集めたシャボテンをはじめとする珍奇な動植物が、若冲の幻想博物誌にヒントを提供したというのも面白い。

唐突な連想かもしれないが、私にはさらに現代オランダの銅版画家エッシャーの水を主題にした一連の風景画と若冲の「雲中錦鶏図」や「花卉図」のような装飾性の勝った作品の間にその空間の虚実の大胆な対比とトポロジックな構成において驚くべき平行があるように思える。そういえば昆虫や爬虫類に寄せるエッシャーの異常な執着といい、一方若冲の群鶏図の白と他の原色のアラベスク風の交錯の連鎖のうちにふと虚実が入れ替っているような錯視を感じさせるメービウスの環状の幾何学的幻想といい、両者の血縁は海と時代をへだてて意想外に近接しているのではないだろうか。

だが、この興味つきせぬ画論集の細目と、ましてそこから湧き出る連想に手前勝手な熱を上げていては、キリがないであろう。ひとまず辻氏の労作に感謝を捧げつつ、続稿を期して蒙童の筆を擱くことにしたい。

【単行本】
奇想の系譜―又兵衛-国芳 / 辻 惟雄
奇想の系譜―又兵衛-国芳
  • 著者:辻 惟雄
  • 出版社:美術出版社
  • 装丁:単行本(149ページ)
  • 発売日:1970-01-03

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【新版大型本】
新版 奇想の系譜 / 辻 惟雄
新版 奇想の系譜
  • 著者:辻 惟雄
  • 出版社:小学館
  • 装丁:大型本(223ページ)
  • 発売日:2019-02-04
  • ISBN-10:4096822892
  • ISBN-13:978-4096822890
内容紹介:
江戸絵画ブームを興した名著オールカラー版 半世紀前に刊行された『奇想の系譜』が、新たに図版を加え、さらに4色で大きく見せられるレイアウトに生まれ変わりました。また、若冲をはじめ江… もっと読む
江戸絵画ブームを興した名著オールカラー版

半世紀前に刊行された『奇想の系譜』が、新たに図版を加え、さらに4色で大きく見せられるレイアウトに生まれ変わりました。また、若冲をはじめ江戸の絵師たちに起こった絵画をとりまく状況変化を各章最後に新原稿として追記しています。

岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我簫白、長沢芦雪、歌川国芳。アバンギャルドな絵師たちの江戸絵画を約130点も掲載。

江戸絵画ブームの原点となる名著がオールカラー完全版として新登場!

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奇想の系譜 / 辻 惟雄
奇想の系譜
  • 著者:辻 惟雄
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(275ページ)
  • 発売日:2004-09-09
  • ISBN-10:4480088776
  • ISBN-13:978-4480088772
内容紹介:
意表を突く構図、強烈な色、グロテスクなフォルム-近世絵画史において長く傍系とされてきた岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら表現主義的傾向の画家たち。本書は… もっと読む
意表を突く構図、強烈な色、グロテスクなフォルム-近世絵画史において長く傍系とされてきた岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら表現主義的傾向の画家たち。本書は、奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特徴とする彼らを「奇想」という言葉で定義して、"異端"ではなく"主流"の中での前衛と再評価する。刊行時、絵画史を書き換える画期的著作としてセンセーションを巻き起こし、若冲らの大規模な再評価の火付け役ともなった名著、待望の文庫化。大胆で斬新、度肝を抜かれる奇想画家の世界へようこそ!図版多数。

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初出メディア

SD(終刊)

SD(終刊) 1970年6月号

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