ヨーロッパ激動期の立ち会い証言
一九九〇年代の初め、フランス文学の大先輩の家に遊びにいったらテーブルの上に産経新聞が置いてあった。大先輩は保守ではなかったので「あれっ?」という顔をすると、「君は知らないのか?フランス屋だったら産経パリ支局長の記事を読んでおかなくちゃだめだぞ、ほかの新聞の外信記事とは格が違うから」と言われた。本書は、この「伝説的なパリ支局長」が一九九〇年五月の赴任から退職後の二〇二一年五月まで毎日つけていたパリ日記の第1巻(全5巻で完結予定)である。
パリ赴任六日目の日記には外信部長から「上層部は反対している。ダメだったら1ヵ月で戻す」と言われたので、アパルトマンは「家具あり」を探したがなかなか見つからないとある。しかし、同じ日には、テレビで見て興味を抱いた仏国防研究所財団理事長のポール・ビュイス将軍にインタビューを試み、冷戦終結後のソ連について「民族運動との対峙は続く。ウクライナ共和国が抵抗する時には事態はもっと深刻になる」との「予言」をすでに引き出している。以後、「ル・モンド」の社長兼編集局長アンドレ・フォンテーヌ、ヌーヴォー・フィロゾーフの一人で新型コロナ禍を予測するような文明分析を行ったアンドレ・グリュックスマン、人類学者レヴィ=ストロース、海底探検家クストーなどに再三にわたってインタビューを行い、彼らを知恵袋とすることに成功する。
ところで、第1巻がカバーしている一九九〇年から九五年までの期開はミッテランが二期目の大統領をつとめた時期とほぼ重なるが、この五年ほどヨーロッパが激動に見舞われていた時代はなかった。すなわち、冷戦終了に引き続くドイツ統一、湾岸戦争、ユーゴ内戦、ソ連の崩壊、EU誕生など歴史的大事件が次々に起こったので、パリ支局長は多忙を極めたようで、ほとんど休暇らしい休暇を取っていない。それどころか、ほぼ毎日出稿している。ときには、世紀の大ニュースが重なることさえある。たとえばEU結成準備のためにオランダのマーストリヒトで開かれたEC首脳会議のために大統領記者同行機で現地に到着した翌日の一九九一年一二月九日の日記にはこう書かれている。
EC首脳会議直前に飛び込んできたソ連消滅宣言(12月8日)の大ニュースの会議への影響を送稿。この大ニュースは前夜の真珠湾50周年のニュースと共に、政治統合を巡って対立点を抱えていた欧州に統合を促す促進剤の役目を果たした。
このテクストを読んだ今日の読者は「真珠湾50周年のニュースと共に」という箇所に首を傾げるだろうが、この時期にはミッテランが登用した初の女性首相クレッソンによる日本車叩きが激しさを増しており、その日本警戒的な機運がソ連崩壊と並んで欧州統合を促したということなのである。
日本はすでにバブル崩壊の過程にあったが、ヨーロッパにおいてはまだ大きなプレザンスを有しており、EU結成にも影響を及ぼしていたのだ。今昔の感に堪えない記述である。
いずれにしても「特派員が見た現代史記録1990―2021」という副題では弱いのではないかと思わせるほどに貴重な「立ち会い証言」でありヨーロッパ現代史研究に不可欠な文献となることは確実である。
【関連オンラインイベント】2021/12/28 (火) 20:00 - 21:30 山口 昌子 × 鹿島 茂、山口 昌子『パリ日記 第1巻 ミッテランの時代』(藤原書店)を読む
https://peatix.com/event/3108007/view