書評
『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)
豊かなる生、予感や余韻に耳をすまして
高名な精神医学者である著者は、心的外傷後ストレス障害や統合失調症の治療のなかで、患者が虫の知らせを聴くことの重要性を発見する。虫の知らせとは、この世界にみちる予感や余韻のことだ。予感は未来へむかう。なにかの徴候が明確に現れる前の、プレ徴候ともいうべきもの。一方、余韻は過去から来る。かつて確かに存在したものの残響、残り香。この余韻がもっと明らかな形をとって、過去からなにかを引きだす手がかりになれば、それは索引と呼ばれる。私たちの生は、予感と徴候、余韻と索引につつまれて、はじめて豊かなものになる。
精神医学は、予感と徴候、余韻と索引の語るものに耳をすますことである。演繹(えんえき)と帰納による「科学の知」だけに頼るのではなく、ささいな足跡や草の倒れた跡から獣の通り道を読みとる狩人の「徴候の知」を活用することなのだ。
逆に、精神疾患は、徴候や索引を感じる能力の歪(ゆが)みとして表れる。たとえば、外傷性記憶は非文脈的に突発する。この場合の文脈とは、記憶に引きだし可能な索引が十分についていて、その索引の活用によって自己史が連続したものとして感じとれることを意味している。
ところが、外傷性記憶は、そうした文脈(索引のネットワーク)に組みこまれない異物だから、苦痛のもとになる。したがって、つらい記憶を自己史という索引のネットワークに組みこんでやることができれば、病は軽くなる。
「索引の多さはその人の生の豊かさと関連する」。なんと含蓄の深い言葉だろう! 索引とは、『失われた時を求めて』のマドレーヌ菓子のように、巨大な記憶の世界を開く入り口なのだ。
それでは徴候はどうだろうか? 言語をもっぱら徴候として用いることが詩だと著者はいう。徴候は未知の世界を開くものだから、詩は多少は難解になる。そういえば、中井久夫は、ヴァレリーやカヴァフィスの難解な詩の、卓越した翻訳者であり、解釈者であった。
精神医学の先端をゆく思索から、人生の奥深さを教える知恵がにじみでる。読めば読むほど味わい深い一冊である。
朝日新聞 2004年05月30日
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