書評

『フランク史I クローヴィス以前』(名古屋大学出版会)

  • 2022/08/24
フランク史I クローヴィス以前 / 佐藤 彰一
フランク史I クローヴィス以前
  • 著者:佐藤 彰一
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(400ページ)
  • 発売日:2021-07-12
  • ISBN-10:4815810303
  • ISBN-13:978-4815810306
内容紹介:
ヨーロッパのもう一つの起源――。欧州はギリシア・ローマからまっすぐに生まれたのではない。世界システムの大変動後、遠隔地交易、ローマ帝国との対抗、民族移動などを経て誕生した、500年にわたるフランク国家。「自由なる民」の淵源から王朝断絶までをたどる初めての通史。第Ⅰ巻では、初代王にいたる波乱の歴史を描く。

王国史「空白の200年」の謎を解く琥珀

西洋史教科書の年表を開いて西暦481年のクローヴィスによるフランク王国建国の「あと」のところを眺めていただきたい。この年号から200年近くがほぼ空白になっているはずだ。この時代がすでに文字資料の存在する「有史」であることを考えれば、驚くべき空白であると言わざるをえない。なぜこのような事態が出来(しゅったい)したのか? 文字資料がトゥール司教グレゴリウスによる『歴史十書』を除くと極端に少ないという理由による。それでも近年、この時代を「後期ローマ」と捉えて聖人伝の読み替えや、新史料の発掘、それに考古学資料との照合などからフランク社会を再構成しようという動きが出てきている。

日本でこの動きを受けてメロヴィング朝とカロリング朝両朝のフランク人の通史『フランク史』に挑もうとしているのが西ヨーロッパ中世史の泰斗である著者である。

本書はおそらく、「フランク史」を標題に掲げた日本語で書かれる最初の通史であろう

著者によると、フランク通史がなかったのはフランク王国がフランス、ドイツ、イタリア+ベネルクス三国の発生母体であるため、国民国家史が優先し、フランク史を通史として叙述するのが困難であったためであるという。そこで著者は、ウォーラーステインの世界システム論を援用しながらフランク史をバルト海と地中海を結ぶ交易システム史の環(わ)として捉えるという視点を打ち出し、なかでも琥珀(こはく)の交易に注目する。

だがなにゆえに琥珀がフランク史を開くカギとなりうるのか? ヒントはトルコ南部のウルブルンに近い海底から発見された紀元前1400年頃の青銅器時代の沈没船に積まれていた琥珀にあった。琥珀はバルト海地方かユラン半島しか採れないので、そこから東地中海まで何かしらのルートで運ばれていたと推測できるのだ。この発見により、プリニウスの『博物誌』に記載のあるピュティアスの北西ヨーロッパ探検『大洋について』やギリシャ神話のアルゴ船の冒険航海の物語といったテクストが俄然(がぜん)あらたな史料として浮上し、歴史家による再解釈が行われることになった。その結果、プリニウスなどによって「アバルス」「バシレイア」「バウノニア」などと呼ばれていた琥珀の島はユラン半島沖のヘルゴラント島であると同定された。

この同定は、グレゴリウスによって『歴史十書』でいわゆるフランク同盟の起源地として記述されていた「パンノニア(現在のハンガリーなど)」は「バウノニア」の誤読であり、じつは琥珀の島=ヘルゴラント島を意味していたのではないかとの問題を提起する。著者はこの説に対してはフランク同盟の起源地は「パンノニア」であるとする従来の考えを取る。なぜか? フランク同盟の主要な構成部族となったブルクテリー族に注目すると、琥珀とパンノニアを結ぶ線がよりはっきりと見えてくるからである。すなわち、ローマ帝国に抗すべくフランク同盟を結成した部族の一つブルクテリー族はもとはリッペ川上流に定住していたゲルマン人だったが、バルト海産の琥珀をエムス川、ライン川、パンノニアを通って地中海に運ぶ貿易に従事して巨万の富を得たため近隣部族の妬みを買い、原住地を追われてパンノニアにやってきたのである。

フランク同盟が結ばれたのが通説通りこのパンノニアであるとすれば、ブルクテリー族はまさに琥珀ゆえにパンノニアに流れ、フランク同盟の中核的存在としてこれに加わったことになるわけだ。

ところで、このフランク同盟は緩やかな連合に過ぎず、同盟全体を指揮する大王権のようなものがあったわけではないが、この緩やかさゆえに同盟に加わった部族の一つに後のフランク王クローヴィスの父キルデリクスの祖先の部族もいた。

キルデリクスの系統にあたる祖先も、やがて三世紀の初頭にパンノニア南部からドナウ川の右岸沿いに西に移動し、ライン川の左岸を中流まで下り、一時川沿いに定着した後に、ライン川を東に越えてテューリンゲン地方に入った。/そしてキルデリクスの父クロディオの時代に、北ガリアのトゥルネに拠点を得たのであった

このように琥珀貿易を軸にしてバルト海からパンノニアに至るフランク同盟諸族の系譜と移動を辿(たど)っていくと、そこからクローヴィスの祖父の部族の移動経路がおのずと浮かびあがってくる仕組みだが、じつは、この見方は通説とはまったく違うものだった。

我々の見方がこれまでの通説的理解と大きく異なるのは、キルデリクス・クローヴィスの系統は、一般に受け入れられているようにトクサンドリアに定着したいわゆる「サリー集団」には属していないという点である

この新見解だけでも本書は学問的に大きな価値を持つが、続巻ではさらなる新説が飛び出してきそうである。青銅器文明の崩壊から説き起こし、ローマ帝国末期を経て、最終的にはフランス史に接続する、歴史ファン必読の空前絶後の大作である。
フランク史I クローヴィス以前 / 佐藤 彰一
フランク史I クローヴィス以前
  • 著者:佐藤 彰一
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(400ページ)
  • 発売日:2021-07-12
  • ISBN-10:4815810303
  • ISBN-13:978-4815810306
内容紹介:
ヨーロッパのもう一つの起源――。欧州はギリシア・ローマからまっすぐに生まれたのではない。世界システムの大変動後、遠隔地交易、ローマ帝国との対抗、民族移動などを経て誕生した、500年にわたるフランク国家。「自由なる民」の淵源から王朝断絶までをたどる初めての通史。第Ⅰ巻では、初代王にいたる波乱の歴史を描く。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2022年2月19日

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