後書き

『織物の世界史: 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか』(原書房)

  • 2023/03/17
織物の世界史: 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか / ソフィ・タンハウザー
織物の世界史: 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか
  • 著者:ソフィ・タンハウザー
  • 翻訳:鳥飼 まこと
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(408ページ)
  • 発売日:2022-12-20
  • ISBN-10:4562072504
  • ISBN-13:978-4562072507
内容紹介:
人類が初めて織物にしたリネンからファストファッションの化繊まで人と布と衣服の世界史。
人類がはじめて織物にした繊維である麻、アメリカの黒人奴隷と綿花産業、中国の代表的輸出品だった絹、羊毛とイギリス、そしてレーヨン他の化繊、ファストファッションの問題まで、繊維織物と人間のかかわりの歴史を描いた書籍『織物の世界史』より、訳者あとがきを公開します。

あなたの着ている服はどこからやってきたのか

「この服にはどんな物語があるのだろう」

本書を読んで以来、服を手に取る度に私の頭の中にはこの質問が浮かぶようになった。たとえば、今私が着ているカーディガンのタグを見てみると、「綿100%」と書かれている。綿の起源は古く、5000年前とも8000年前とも言われている。日本には8世紀末頃に一度伝来しているが、このときは定着することなく途絶えてしまった。本格的に栽培されるようになったのは15世紀から16世紀頃のこと。その後、江戸時代に全国に広まり、綿織物の普及と相まって、綿栽培は最盛期を迎えることとなる。綿布の生産はその後も大きく花開いていったが、綿工業が成長したことによって原料の綿花を輸入に頼るようになったため、綿栽培自体はしぼんでいった。現在では綿の国内自給率はゼロに等しい。つまり、今私が着ているこの柔らかくて肌触りが良く、保温性に優れているカーディガンは、日本ではないどこかの土地と人を疲弊させ、大切な水を大量に使用して作られたものだということになる。先ほどよりも、カーディガンの重みが増した気がする。私が羽織っているのは、単なる綿織物ではない。

著者のソフィ・タンハウザーは、作家だけでなくミュージシャン、アーティストとしての顔も持つ。ホームページの写真を見ると、きりっとした眉が印象的な、凛とした女性だ。目元には温かさを湛えているが、しかしまっすぐこちらを見据える瞳の奥には、意志の強さが窺える。なるほど、彼女でなければ本書を最後まで書き上げることは難しかったのかもしれない。

それくらい、本書からは多岐にわたる知識と詳細な調査、そして何より、布や衣服への愛が溢れている。世界各地に足を運び、自分の目で現場を見て、現地の声に耳を傾けるというのは、生半可な気持ちでできることではない。残念ながら著者は日本を訪れてはいないのだが、日本に関する話題は度々登場している。特に、日本の藍染めの技術と縫製の技術が集結したセルヴィッジデニムへの賛辞には、誇らしい気持ちになった。

人類最古の染料とも言われる藍が日本に伝わったのは、奈良時代とされている。かつては貴族が身に着ける高貴な色だったが、華美が禁じられた江戸時代に庶民に広まり、以来、藍染めは日本人の生活に深く根づくこととなった。世界各国で「ジャパンブルー」と呼ばれ、藍色は日本を象徴する色となった。しかし、藍染めの伝統にも幾度となく危機は訪れた。和装から洋装への変化と合成染料の登場によって、日本での藍の生産は途絶える寸前にまで落ち込んでしまったそうだ。その中にあっても、藍染め職人や藍農家はわずかな伝統の火を絶やさず守りつづけた。カンブリア地方の牧羊家が、羊の種を絶滅から守ったように。ナバホ族の織り手が、一度止まった織りものの手を再び動かしたように。

流行り廃りが目まぐるしく変化し、使い捨てが当たり前になった現代において、一つ一つ手作業でものを作るというのは、時代に逆行した効率の悪い作業なのだろう。しかし、すべてが機械化し、大量生産された品だけになってしまったらどうだろうか。手にした瞬間からすでに「死」が始まっているようなものに囲まれて、私たちはどうやって「生」を感じたらよいのだろうか。消えることなく守られている伝統がある。その事実に、私たちは救われているのかもしれない。

新たな技術、新たな品が誕生すれば、それに付随して新たな問題も生まれる。布や衣服の歴史においては、女性の排除や労働搾取、土地や水の汚染などがそれだ。そうした問題は解決されることなく積み重ねられたまま、近年ではそこにマイクロプラスチックによる海洋汚染の問題が加わる。

ファッションは楽しいものであってほしい。しかしその陰で傷ついている人や土地、環境があるとわかってしまっている以上、その事実から目を背けるわけにはいかない。織物の女神は人の運命を紡ぎ、織るという。しかし織物の運命を決めるのは人なのかもしれない。すぐにすべてを良い方向へ向けることはできなくとも、私たちが衣服に対する意識を少しずつでも変えることができれば、これまでとは違った素晴らしい織物(せかい)を作り出すことができるのではないかと思う。

「たいていのものは直せるし、急ぐ必要もないし、完璧ではないところに価値がある」(13章)

この一文が心に深く染み入る。私自身、編みものが好きだ。編みものをしているあいだは、雑事を忘れて無になることができる。自分のペースで、疲れたら休んで、好きなときに好きなように編めばよい。間違えたら、ほぐして直せばよい。毛糸が足りなくなったら、継ぎ足せばよい。多少形が歪んでも、味だと思えば失敗ではなくなる。常に時間やタスクに追われ、少しの失敗も許されない現代社会に生きる私たちに、日々を紡ぐことの大切さ、人生を自分の手で編んでいくことの豊かさ、何度でもやり直すことができるという心強さを、手工芸は教えてくれる。

ナバホ織りの織り手であるヴェルマやマーロウの作品については、本人のインスタグラム等で実際の作品をご覧いただくことができる。拙訳ではなかなかイメージしにくかった部分もあるかと思うが、興味を持たれた方は是非「Velma Kee Craig」や「Marlowe Katoney」で検索していただければと思う。織物でここまでの表現ができるのかと、その可能性に圧倒されることだろう。

[書き手]鳥飼まこと(訳者)
織物の世界史: 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか / ソフィ・タンハウザー
織物の世界史: 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか
  • 著者:ソフィ・タンハウザー
  • 翻訳:鳥飼 まこと
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(408ページ)
  • 発売日:2022-12-20
  • ISBN-10:4562072504
  • ISBN-13:978-4562072507
内容紹介:
人類が初めて織物にしたリネンからファストファッションの化繊まで人と布と衣服の世界史。

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