書評

『台湾文学というポリフォニー 往還する日台の想像力』(岩波書店)

  • 2023/10/12
台湾文学というポリフォニー 往還する日台の想像力 / 垂水 千恵
台湾文学というポリフォニー 往還する日台の想像力
  • 著者:垂水 千恵
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(296ページ)
  • 発売日:2023-03-14
  • ISBN-10:400061584X
  • ISBN-13:978-4000615846
内容紹介:
植民地時代から現代まで、台湾は日本人作家の想像力をどのように刺激したか。また台湾人作家はどのように日本を捉え描いてきたか。日本語プロレタリア作家、楊逵の葛藤から、戦後の邱永漢の亡命文学、あるいは日影丈吉、丸谷才一における台湾表象など、複雑に絡み合う台湾と日本の関係を、双方の文学を通じて読み解く。

想像の他者像のさすらいを追って

台湾文学論を思わせる書名だが、内容に即していえば、台湾をめぐる文学表象の批評である。

台湾の日本語文学といえば、まず思い出されるのは植民地時代に台湾人が日本語で書いた小説や詩であろう。著者は一九九〇年代半ばに『台湾の日本語文学』を刊行し、台湾文学ブームの火付け役の一人になった。本書の冒頭でも文学的な継起という文脈において、日本統治下における楊逵(ようき)の文芸批評と、プロレタリア作家の中西伊之助との交友、並びに中西が見た台湾が紹介されている。

楊逵は植民地統治に抵抗する手段として、宗主国の言葉を文学創作の言語としたが、より多くの台湾人に読ませるためには、統治者による「国語」の普及を待たないといけない。それだけでなく、本人も日本語を介してしか、日本のプロレタリア作家と連帯の絆を確認することはできなかった。楊逵の文芸批評を分析することで、このねじれ構造を浮かび上がらせることができた。

戦後の台湾表象については、想像力の往還に着目し、発表の時代が違い、主題も素材も手法も異なる作品の読みを通して、個々の作家や作品の特異性が解き明かされた。

一九五四年、日本で作家デビューした邱永漢は、トランスボーダー文学の難しさを象徴する存在であった。台湾独立運動も二二八事件後の亡命も生きることの意味が問われる状況である。死の淵をのぞき込むときの、魂の震えを言語化することは、人間性の本質を究めようとする営みだ。しかし、戦後文学の文脈においてみると、『香港』にしろ『密入国者の手記』にしろ、その物語性しか注目されなかった。解釈共同体の不在は亡命作家が宿命的に抱える不幸であろう。

その意味では、陳舜臣や東山彰良らが推理小説の領域で表現の可能性を極めようとしたのはごく自然な成り行きである。陳舜臣の場合、長編小説『怒りの菩薩』を最後に、二度と台湾を題材とする小説を書かなくなっただけでなく、後に歴史小説家としての道を歩むことに徹した。作品の受容は読みの共同体の内部にしか成立しない以上、作家はその現実を受け入れざるをえない。

日本人作家による台湾の文学表象については、その対照軸として考察が行われた。一九六三年五月に発表された日影丈吉の「騒ぐ屍体」をはじめ、丸谷才一『裏声で歌へ君が代』、中上健次『異族』、津島祐子『あまりに野蛮な』と吉田修一『路』など、戦後にかぎってみても、台湾を舞台にする作品は少なくない。それぞれ書かれた時代が違い、創作の意図も同じではないが、作品の内部に立ち入ることによって、多くの発見があった。丸谷才一の『裏声で歌へ君が代』には、主要な人物として洪圭樹が「台湾民主共和国準備政府」の第三代大統領として登場してくるが、著者は描写の細部についての分析から、洪圭樹のモデルが台湾独立運動家の廖文毅(りょうぶんき)であることを突き止めた。そのことにも驚いたが、廖文毅の投降工作に関するエピソードは邱永漢が提供した情報にもとづくものだという推論は、ミステリー小説の謎解きのようで面白い。

吉田修一の『路』は日本の新幹線方式を取り入れた台湾高速鉄道を題材にした長編である。物語は計画の決定、着工、試運転、開通に沿って展開し、それに日本人女性と台湾人男性の恋愛ドラマや友情の話が絡み、近代史の過去が軽やかな口笛のように描かれた。

戦前の台湾表象には目に見えない図式があるとすれば、戦後作家による図式の転覆は、どのようにもう一つの図式に陥らないかが問われている。過剰な感情移入は、意味の生成を思わぬ方向に向かわせ、美学的機能の達成はかえって遠のいてしまうかもしれないからだ。『異族』の創作における中上健次の躓きもそのことを物語っているであろう。

本書のもう一つの特色は、台湾表象を歴史的背景において検討するのみならず、境界横断の文脈において、その多面性をパノラマ的に示そうとするところにある。現代の台湾文学については、紀大偉、邱妙津の作品を通して、日台間の文化情報が往還する様子が捉えられており、瑣末な言語イメージや断片的な影像が無造作に作品のなかに織り込まれた瞬間を鮮やかによみがえらせた。

想像の他者には完璧な善か絶対な悪という二つのまったく相反する属性が与えられがちである。台湾原住民族が野蛮の象徴として描かれているかと思うと、一転して、純朴さの寓意として表象されるのはそのためだ。戦前に発表された大鹿卓『野蛮人』、谷崎潤一郎『武州公秘話』、山部歌津子『蕃人ライサ』も、二〇〇〇年代の後半に刊行された津島祐子『あまりに野蛮な』も、想像の他者という文脈に置いてみると、一本の糸が通して見えてくる。その糸をたぐり寄せて見ると、どの作家も日本という国家の自己認識の影を踏みながら、文化の自画像を想像の他者のなかに刻み込もうとしている。そのことが緻密なテクストの読みを通して示唆されている。
台湾文学というポリフォニー 往還する日台の想像力 / 垂水 千恵
台湾文学というポリフォニー 往還する日台の想像力
  • 著者:垂水 千恵
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(296ページ)
  • 発売日:2023-03-14
  • ISBN-10:400061584X
  • ISBN-13:978-4000615846
内容紹介:
植民地時代から現代まで、台湾は日本人作家の想像力をどのように刺激したか。また台湾人作家はどのように日本を捉え描いてきたか。日本語プロレタリア作家、楊逵の葛藤から、戦後の邱永漢の亡命文学、あるいは日影丈吉、丸谷才一における台湾表象など、複雑に絡み合う台湾と日本の関係を、双方の文学を通じて読み解く。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年5月27日

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