書評

『かたばみ』(KADOKAWA)

  • 2023/12/15
かたばみ / 木内 昇
かたばみ
  • 著者:木内 昇
  • 出版社:KADOKAWA
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2023-08-04
  • ISBN-10:4041122538
  • ISBN-13:978-4041122532
内容紹介:
2023年、必読の家族小説「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」太平洋戦争直前、故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊し… もっと読む
2023年、必読の家族小説

「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」
太平洋戦争直前、故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに引退し、国民学校の代用教員となった。西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は、幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいたが、恋に破れ、下宿先の家族に見守られながら生徒と向き合っていく。やがて、女性の生き方もままならない戦後の混乱と高度成長期の中、よんどころない事情で家族を持った悌子の行く末は……。

新聞連載時から大反響! 感動という言葉では足りない、2023年を代表する傑作の誕生


「気がつくと頭の中で物語が映像化されている。登場人物たちと共に生活を営んでいるように思えてくる。見事な描写力である。「血縁が家族を作るのではない。人間は善なのだ」……作者のそんなつぶやきが聞こえてきそうな、心温まる傑作」 ――作家・小池真理子

560ページに詰まった人間の喜怒哀楽

戦時中から戦後しばらくまでの東京郊外を舞台にした、ある家族の物語。全560ページに人間の喜怒哀楽がたっぷり詰まっている。笑ったり泣いたり怒ったりしながら夢中になって読んだ。この感覚はディケンズや井上ひさしの長編を読んでいるときと同じだ。

題名の「かたばみ」は植物の名前。カバー袖に説明がある。<カタバミ科の多年草。クローバーのような葉を持ち、非常に繁殖力が強く、「家が絶えない」に通じることから、江戸時代にはよく家紋にも用いられた。花言葉は「母の優しさ」「輝く心」など。>とのこと。うまい題名。

まずはあらすじを紹介しよう。主人公の山岡悌子(ていこ)は槍投げの選手。岐阜出身の25歳。身長5尺7寸、体重20貫目というから、172センチ、75キロほどか。この悌子、体は大きいが気が弱い。肩を壊して選手生活を引退し、国民学校の代用教員となる。ただし腰かけ気分。

悌子には将来を約束した男がいた。幼なじみの神代(じんだい)清一である。早稲田大学野球部の元エースで現在は社会人野球の選手。容姿端麗で性格もよい聖人君子のような男で、強肩の悌子とキャッチボールをした仲だった。

ところが、相思相愛でいつか夫婦になるというのは悌子の一方的な思い込みだった。清一は同じく幼なじみの雪代と結婚。志願して兵士となり、戦地に行ってしまう。失恋した悌子は東京の郊外、小金井で児童たちの教育に打ち込んでいく。

戦争は激しくなり、空襲もある。食糧は不足し、大人も子供も腹を空かせている。軍人は威張り、大人は追従。世の中はどんどん悪くなる。

もう一人の主人公というか、映画なら助演男優に該当するのが中津川権蔵(ごんぞう)。悌子とは正反対。痩せて病弱。徴兵検査では丙種。早稲田大学法学部を出たものの、定職に就いたことがない。兵隊にもとられず、冷たい世間の視線を気にしながらひっそりと生きている。そのためか、物事をちょいと斜めから見る。

悌子に初めて会ったとき、「不自然なまでに、人がいい」と権蔵は思った。褒めたのではない。場を和ませ、他者を立てることに躍起になっている悌子を見て、「この女の人の好(よ)さは、とってつけたようで嘘くさい」とまで思う。にもかかわらず、紆余曲折いろいろあって、ふたりは夫婦になる。

一方、神代清一と結婚した雪代は清太を出産するが、清一は戦死してしまう。清一の父は家業を存続させるために、嫁の雪代に婿を迎えることにする。そして清太を悌子の養子にして育ててほしいと言う。

あまりにも自分勝手な話ではないかと悌子は怒り、その怒りと清太への憐憫と戦死した清一への思いから、発作的に清太を引き取ることにしてしまう。悌子は後先を考えずに突っ走ってしまう癖があるのだ。

驚いたのは権蔵である。泊まりがけの仕事から帰ると、自分が2歳児の父親になっていたのである。もともと権蔵は子供が「蛭(ひる)やゴキブリより嫌い」だった。ところが幼い清太に触れたとたん、とろりととろけるような心地がして、たちまち子煩悩に転じる。このあたりのくだりは、まるで古典落語の人情話を聞いているようで、じーんとしてくる。

「一所懸命」という言葉が何度も出てくる。悌子も権蔵も清太のために一所懸命。悌子は雪代が清太を取り返しに来るのではないかと怯え、権蔵は清一と自分を比較して怯える。でも、その怯えを押し殺して、ほんとうの親になろうと一所懸命。

それをかたわらで支えるのが、悌子が下宿する惣菜店(のちに食堂)の家族だ。権蔵の妹の朝子(ともこ)、その姑のケイ、片腕を失いながらも復員してきた朝子の夫の茂樹。下町から小金井に疎開してきた権蔵の母の富枝。そして朝子と茂樹の子供たち。みんな名脇役。

物語は悌子の視点だけでなく、権蔵の視点、そして後半では出自を知って悩む清太の視点からも、家族の日々と成長を描いていく。

戦中戦後の教育についてもいろいろ書かれている。悌子が代用教員として赴任する「国民学校」というのは昭和16年に政府の通達によって小学校から名前を変えたもの。子供たちを軍国主義の道具にしようという意図が透けて見える。朝礼で校長は「君たちは、この皇国に生まれたことを感謝してください」と訓話を垂れる。朝礼では国旗掲揚だの国歌斉唱だの宮城遙拝(ようはい)だの教育勅語の奉読だのが続く。そして勉強なんかそっちのけで軍事教練に勤労動員。

ところが戦争に負けると180度変わって、まずは戦時中の教科書の墨塗りに始まる。しかし実態は、天皇がマッカーサーに、軍人がGHQに替わっただけ、悌子は言う。「二転三転する教育方針の犠牲になるのは生徒たちです。本当なら、今までの教育は間違っていた、と教員が生徒に対してきちんとお詫びするところからはじめないといけないのに、そこはうやむやにしたままというのも、私には納得がいきません」と。

いま日本は新たな戦前にあると感じる人が多い。こうなった根っこは、敗戦直後の「うやむや」にある?
かたばみ / 木内 昇
かたばみ
  • 著者:木内 昇
  • 出版社:KADOKAWA
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2023-08-04
  • ISBN-10:4041122538
  • ISBN-13:978-4041122532
内容紹介:
2023年、必読の家族小説「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」太平洋戦争直前、故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊し… もっと読む
2023年、必読の家族小説

「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」
太平洋戦争直前、故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに引退し、国民学校の代用教員となった。西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は、幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいたが、恋に破れ、下宿先の家族に見守られながら生徒と向き合っていく。やがて、女性の生き方もままならない戦後の混乱と高度成長期の中、よんどころない事情で家族を持った悌子の行く末は……。

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「気がつくと頭の中で物語が映像化されている。登場人物たちと共に生活を営んでいるように思えてくる。見事な描写力である。「血縁が家族を作るのではない。人間は善なのだ」……作者のそんなつぶやきが聞こえてきそうな、心温まる傑作」 ――作家・小池真理子

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年9月30日

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