書評
『人魚を見た人―気まぐれ美術館』(新潮社)
昭和という時代の描いた風紋
急ぎの捜しものをしているときに、ふだんは忘れていた本をふと目にしてつい読みふけってしまう。べつにそういう時と限るわけではないが、そんな感じに読んでいる本がある。何かの加減で目に入ったのを開いて、あっちこっちと拾い読みしているうちにやめられなくなって一冊読んでしまう。一冊ですむならいいのだが、全部で五巻もある。洲之内徹の『気まぐれ美術館』。
もともとは月刊の『芸術新潮』誌に延々十四年にわたって連載されたエッセー。昭和六十二年の十一月号が最終回だが、著者が七十四歳で亡くなって連載が終わっただけだから、事実上は中断なのだ。
ご当人は、だんだん頭が悪くなって、と第五巻に書いているが、「変なことをぐにゅぐにゅと書いてうまあく読ませてしまう」と評した人もいたように、いったん読みだしたらなかなか抜けられない達意の名文に衰えの気配などこれっぽっちも感じられない。亡くならなければ当然、六巻、七巻と期待できた。読みたかったな、八十歳、九十歳の「ぐにゅぐにゅ」が。
見本をお目にかけようにも、毎回が九頁も使って、読み手に不案内な抜け道をあちこちし、青空のぽっかりと見える抜け穴に連れだす、というふうな仕立てだから、かいつまむなんてとても無理だ。たとえば「想像力について」という一篇。
瞽女(ごぜ)の小林はるさんの顔を描いた、「私たちには想像することのできない彼女の内部の世界を、見えないその眼を内に向けて、じっと見つめているかのような」鉛筆画の労作を新潟で見る場面をピークにして、「核戦争で全人類が死滅するとしても、来世のみを願って生きているはるさんにとっては恐るるに足らないかもしれない。ここには一つの、そういう不死がある」という終句に至る。
そこまで至るには、読み手はまず冒頭で著者と共に上越新幹線の「とき」に乗りこんで、想像力について思いをこらさずにはすまない趣向になっている。
この篇は第四巻の『人魚を見た人』に収められている。書名になった一篇ではまざまざと人魚も見せてくれる。羽州松山藩の付家老・松森胤保の描いた人魚のミイラのスケッチに、ちらっと幻術の素をふりかけて。
そういえば「万華鏡」というタイトルもある。ラフカディオ・ハーンの息子で画家だった小泉清が、亡くなった奥さんの後を追って自殺した日のことが記される篇だ。
絵と絵描きの行跡に詳しいのは洲之内が亡くなるまで現役の画廊主だったからだ。絵を見、絵描きに会うための東奔西走で文章が活気づいているのは当然として、もっと肝心なのは大正二年生まれということだろう。
時代の風をまともに受けて、左翼運動にものめりこんだ。戦争にも行った。戦後の貧乏暮らしもたっぷり味わった。そういう著者自身の行跡も洗いざらいぶちこまれている。
それなのに現場実況の重っ苦しい感じがない。「自然は生きて動いていて、それを動かすのが風なのだ」とどこかで書いているが、至るところで爽々と風が吹いている。
洲之内は小説も書いた人だが、この五巻はいずれ間違いなく、昭和という時代の描いた風紋をそのまま写しとった新形式の大河小説と評価されるにちがいない。
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