キリスト教文化にとって、日本は〈暴虐と聖性の国〉だった。グローバルな宣教のなかで、驚くべきイメージはどのように成立・普及したのか。長崎二十六殉教者の列福やその聖遺物の行方、さらには多様な殉教伝・磔図像・残酷劇などを跡づけ、東西をつなぐ新たな「双方向の歴史」を実践する。
【受 賞】
・第45回「サントリー学芸賞」
“日本の研究者による、こうした国際水準の「読める学術書」を、私は30年以上も待ちわびていた。西欧中心史観とナショナル・ヒストリーと公文書主義の限界が指摘され、グローバル・ヒストリーとポストコロニアル研究と記憶研究の必要が叫ばれてきたわけだが、その条件すべてを満たす学術書は少ない。他方で歴史研究の精緻化は対象の細分化をまねき、幅広い読者の知的欲求に応えることは容易ではない。本書はそうした学芸の苦境に風穴を開ける一つの快挙である。……”(佐藤卓己氏評)
【書 評】
・『図書新聞』(2023年9月9日号、第3606号、評者:狭間芳樹氏)
“…… 評者が特に印象にのこったのはそうした殉教の言説が明治以降の日本において積極的に受け入れられたという史実である。カトリック側が殉教者を英雄視し顕彰するのは当然として、日本はあくまでもキリシタンたちを断罪した側であった。ところが、こうした立場の違いというのは自明であるにもかかわらず、そのことは現代においてほとんど意識されない。著者は「終章」において現代の日本人の歴史とアイデンティティの一部が「前近代の西欧の歴史的文脈で育まれた思考の枠組み」に端を発しており、これは「戦後の一部の界隈で観察される殉教者の受容、さらには流用という現象においても同様である」と述べているが、このことは示唆深い。確かに殉教は、ときに武士の殉死と重なり合わせて捉えられることがあり、これもまた流用だといってよいであろう。
キリシタンの殉教については、これまで国内外を問わずキリスト教史家によって扱われてきたとはいえ、そのほとんどが近世日本で生じたその現象を賞賛し、感傷的・情緒的に捉えるにとどまってきた。このことを、かつて高瀬弘一郎氏が「美化された殉教史」(『キリシタンの世紀 —— ザビエル渡日から「鎖国」まで』岩波書店)と問題視して以来、それを乗りこえる研究が進みつつあるが、そうしたなか殉教の概念それ自体を論じた本書のもつ意義は大きい。……”(第5面)
・四国新聞(2023年6月11日付)
“…… 日本史では、キリスト教が西欧列強の侵略の先兵だったと解釈するのが一般的。西欧側が日本での宗教的受難を強調するのは、自分たちを歴史的強者と考える価値観があるとの指摘は興味深い。”(第9面)
・毎日新聞(2023年4月1日付、書評欄、評者:本村凌二氏)
“…… 近世における殉教の記述は日本に限られるわけではない。北米・中南米をはじめ布教活動がなされた地でも報告されているという。ところが、日本の殉教のみが、文書・図像・演劇などを通して広く伝えられ、ついには「大きな物語」として成立したという。そうであれば、布教政策や禁令活動の通史ではなく、教会関係者の記録を「逆なでに」読み、「起こったこと」が歴史化された文脈を解き明かすことが本書の焦点となる。……
…… 多様な殉教伝・磔刑図像・残酷劇を通じて、きわめて独特な日本像が創出された。そのプロセスを解明しつつ、キリスト教史における宣教のレトリックを問い直す作業は、東西の歴史をつなぐ試みとして、ことさら注目されてよいだろう。”(第11面)
【主要目次】
序 章
第1章 複数の位相を持つ「殉教」
—— 概念の歴史化
古代教会における「殉教」概念の発生
殉教思想の日本への流入
絶対的悪を規定する迫害
力の逆転の思想としての殉教
16~17世紀における「殉教」概念
西欧言語圏における殉教研究の方法論
日本語による「殉教」言及
殉教と歴史認識 —— 宣教言説の受容と反発の狭間で
「殉教」という訳語の誕生
近代以降の「殉教」言説のゆくえ
殉教の様々な位相
第2章 日本の殉教者の初めての聖性公認
—— 長崎二十六殉教者の列福過程
「聖人」を生む制度 ——「列聖」と「列福」
列福開始以前のフランシスコ会とイエズス会の対立
フランシスコ会の殉教顕彰の伝統
迫害での逃避について(De fuga in persecutione)
—— イエズス会宣教における初期の殉教観
列福過程の最初の段階 ——「情報と尋問の裁判」
二十六人中のイエズス会関係者
「信仰への憎しみ」の確認
日本のキリスト教徒からの列福嘆願書
慶長遣欧使節
列福過程の再開
教会裁判(1621~22年)における質問条項
長崎裁判
裁判をすっぽかす人たち
イエズス会と殉教伝① —— モレホン
イエズス会と殉教伝② —— マテウス・デ・コウロス
メキシコ・プエブラにおける教会裁判
裁判記録と教皇庁裁判所
イエズス会と托鉢修道会の対立の政治問題化
列 福
列福後の現象 —— 信仰の盛り上がりと普及活動
クリストヴァン・フェレイラのフェイク・ニュース
イエズス会と列福候補者
ベネディクト14世と長崎二十六殉教者の特異性
第3章 聖遺物
—— 殉教者の旅する聖性
日本で希求された聖遺物
信者の命がけの回収と聖遺物の意識的な破壊
キリシタン版における聖遺物
日本の文化的文脈における遺骸
日本に運ばれたヨーロッパの聖遺物
霊的な勢力圏を刻む聖遺物
聖遺物と勢力圏
「現地」産の新たな聖遺物の出現 —— ザビエルの聖遺物崇拝
聖遺物の集積地・マカオ
ヨーロッパへ旅する聖遺物についての相反する資料
ヨーロッパにおける日本の聖遺物
ペドロ・バウティスタの2つの頭蓋骨
真正性と同時代性の間
殉教伝、絵画、演劇 —— 広義の聖遺物入れ
第4章 日本の殉教者のイメージ形成
—— 十字架から炎へ
列福以前の殉教者の図像化 —— フランシスコ会における磔刑と聖痕
フランシスコ会のプロセッション
列福前の図像の用い方
フランシスコ会による殉教絵画
イエズス会における磔刑図
日本の磔刑報告のプロテスタントへの影響
十字架のイメージと十字架への信仰
イエズス会の文化的文脈における磔刑
イエズス会における最初の日本殉教者の図像化
ニコラ・トリゴー『日本殉教史』における磔刑図
トリゴー『日本殉教史』図像群のヨーロッパ的文脈①
—— プロテスタント由来の殉教・拷問図
意図的に描かれる/描かれない日本の刑罰
トリゴー『日本殉教史』図像群のヨーロッパ的文脈②
—— 古代の殉教図との関連
『日本殉教史』の拷問とガッローニオの古代殉教の考古学
列福以後のイエズス会の日本殉教者図像の変化
日本殉教者の磔刑図と聖アンデレ
ゴルゴタの丘への同化
十字架から炎へ —— 殉教者を象徴するもの
第5章 舞台の上の日本
—— 殉教を見るということ
日本の殉教の演劇化の嚆矢
托鉢修道会と殉教演劇
修道会演劇研究の資料的問題
イエズス会の劇場における日本の表象の嚆矢
イエズス会における日本殉教演劇の始まり
「カトリックの前線」地帯における日本殉教演劇
「日本殉教演劇の作品群」とドイツ語圏
イエズス会演劇における殉教 —— カタルシスと演劇的暴力
日本殉教演劇に見られる暴力とその文脈
——『日本のキリスト教徒の闘い』とその周辺
「恐怖の劇場」と殉教の悲劇 —— 殉教を見るということ
イエズス会学校のバレエと殉教者 —— 殉教場面の忌避①
フランスにおける日本関係のイエズス会学校演劇
—— 殉教場面の忌避②
礼節とイエズス会の教育
舞台における死の表現の変遷
——『ピリマロ』・『ブンゴ王キバヌス』・『テオカリス』
おわりに —— イエズス会の演劇における日本をめぐる言説と象徴性のゆくえ
終 章
殉教という美徳の衰微
西欧と再び接続される日本
現代日本に継承された「殉教」概念の系譜
あとがき / 注 / 参考文献 / 図版一覧 / 索 引
聖人化先駆け、西欧で受容の背景
本書の題名から連想するのは、遠藤周作の小説
『沈黙』やM・スコセッシ監督の映画ではないだろうか。イエズス会の宣教師が信者の迫害に直面し、一方では命を落とし殉教者になり、他方では棄教者の道を歩む場合があった。一神教文明の世界で育った人々は論理には絶対といえるほど自信をもっているという。だが、この作品では長崎奉行の説得力が勝っており、欧米人は愕然とするらしい。
ところで、「かくれキリシタン」として名高い戦国末期・江戸初期のキリスト教信者をめぐって、世界はどう見ていたのだろうか。近世の日本は「殉教」の聖地であるとともに暴虐の国として理解されていたという。
もちろん、近世における殉教の記述は日本に限られるわけではない。北米・中南米をはじめ布教活動がなされた地でも報告されている。ところが、日本の殉教のみが、文書・図像・演劇などを通して広く伝えられ、ついには「大きな物語」として成立したという。そうであれば、布教政策や禁令活動の通史ではなく、教会関係者の記録を「逆なでに」読み、「起こったこと」が歴史化された文脈を解き明かすことが本書の焦点となる。
日本では男女とも読み書き能力があることに感銘したF・ザビエルの方針で、活版印刷機が導入され、『信仰の象徴入門』の日本語版が出された。だが、原著の意図は大幅に改訂され、殉教のテーマを強調した聖人(サントス)の伝記であった。日本への宣教がなされた十六世紀には、ヨーロッパでは宗教戦争のせいで「殉教」の意味内容が揺らぎつづけていた。そのために、列福・列聖の判断が変容しがちであった。
そこで西欧における日本の殉教言説に決定的な影響をおよぼした長崎二十六殉教者の列福の過程が、裁判文書を用いてたどられる。古代以来の聖人崇拝を権威づけるために列福・列聖制度が発展し、一六〇〇年前後に教皇庁は改革に着手し、制度が整うなかで日本の殉教者が初めて列福されたという。その意味でも、本書は『日本の殉教』ではなく『殉教の日本』なのである。
日本で処刑されたキリスト教徒が他に先駆けて聖人化されるとともに、それを迫害する側の権力も探究される。例えば豊臣秀吉は「タイコーサマ」なる呼称で暴君の象徴と見なされたのだ。
地球規模の宣教活動がくりひろげられるなかで、殉教者が公式に輩出すれば、その聖性が特定の地域と結びつく。そこで、聖遺物が希求され、それ自体が殉教者の聖性を示唆する物的証拠として重要な役割を担った。日本の殉教者のモノとして信仰される物語などの記憶がなければならないのだ。殉教者の図像があればなおさらであり、壮大な物語として紡がれる。長崎二十六殉教者のうち二十三人の十字架刑(磔刑)図はその白眉であり、日本の殉教の図像化は、残酷な劇場であるかのように、受容されやすかったという。
さらに、日本の殉教はヨーロッパ各地で演劇化され、その「見る」行為により、宗教的なカタルシスを得られる教化手段にもなったのだ。
このようにして、多様な殉教伝・磔刑図像・残酷劇を通じて、きわめて独特な日本像が創出された。そのプロセスを解明しつつ、キリスト教史における宣教のレトリックを問い直す作業は、東西の歴史をつなぐ試みとして、ことさら注目されてよいだろう。