書評
『人種主義の歴史』(みすず書房)
二〇一〇年十二月二十五日、米ノースウエスト航空機内でテロ未遂事件が起きた。その直後、テロ防止の強化策をめぐって、アメリカのメディアではちょっとした論争があった.空港ではムスリムを対象とする人種監視(レイシャル・プロファイリング)が必要だと主張する意見がある一方、そうした措置は不毛だと反発する人たちもいた。双方はともに多数派人種であるにもかかわらず、与論が一つの方向に傾斜していかなかった。反対派の人々の脳裏には、おそらくあの忌まわしい人種主義の記憶がよみがえったのであろう。
日本では人種問題というと何となく遠い国の話のような印象がある。だが、現実は決してそうではない。人間精神のあり方にかかわる問題である以上、世界のどこにもありうることだし、どのような文化の中にいようと、誰も目を背けることはできない。
この本の特徴は内容が体系的でありながら、文章はわかりやすい。思想史と関連していることもあって、この手の書物は概して学術用語が多く、叙述が難解になりがちである。だが、本書は理論的な緻密性を保ちながら、予備的な知識がなくても理解できるように書かれている。ヨーロッパと北アメリカにおいて、人種主義がどのように発生し、その宗教的、思想的背景は何か。また、どのような過程をたどって今日にいたり、何の教訓を残したのか、そうした一連の問題について、易しいところから説き起こし、徐々に理論的な分析を深めていく。アメリカの大学でよくゼミで取り上げられたり、参考書のリストに書名が挙げられたりしているのは、高度な内容と読みやすさを兼ね備えているからであろう。
二番目の特徴はこれまでの学説を踏まえながら、それを超える知見を示した点である。人種主義の歴史を記述する試みは少なく、包括的な歴史への取り組みはおおむね戦後以降のことである。そもそも人種とは何かについて、未だに広く受けられる定義はない。人種と人種主義は近代特有の思想だとする説もあれば、自民族中心主義と外国人嫌悪を人種主義的現象としてとらえ、その起源を古い時代に求める人たちもいる。著者はそのどちらの立場も取らない。そのかわり、人種的な反ユダヤ主義の先例を中世にさかのぼり、肌色にもとつく人種差別は近代に生じたものだとしている。
人種主義の流れのなかで、重要な転換点は正確に把握されている。早期の人種主義については宗教との関連を検証し、ユダヤ教徒はイエス・キリストを処刑したために、「神殺し」に対し責任を負うという宗教的な考えはユダヤ人迫害の強力な動機付けを作り出したという点をまずおさえておく。その上で、近代的な人種主義に近いものを先取りしたのは、十五、六世紀のスペインにおける、キリスト教に改宗したユダヤ教徒の扱いだ、と指摘する。中世の宗教的不寛容は後に近代の博物学的な人種主義へと接ぎ木する役割を果たした、とする解釈はきわめて説得力がある。
比較史の手法は表面上の比較で終わっていない。多様な視点を設けることの有効性をもっとも鮮やかに示したのは、科学的人種主義についての分析である。
著者の説によると、十八世紀において、人種に対する偏見を助長したのは啓蒙主義の科学的思考であったという。人類の型の分類を試みた博物学はもちろん、人類学の先駆的な仕事も例外ではなかった。黒色人種に対する彼らの記述は、結果として世俗的な人種主義や科学的な人種主義への道を切り開いた。
近代的な学問体系の確立を目指す過程においても、科学の名を冠した欧米の知的活動は人種主義の拡大に加担した。ただ、一口に欧米とはいってもそれぞれの国のあいだに違いがある。十九世紀の英国民族学は、人間が「一つの血を分かつ者」であるというキリスト教の考えを受け入れた。それに対し、アメリカの民族学は人類同一起源説を無視し、異なる人種は別々に創造され、まったく平等ではないと主張した。皮肉なことに、そうした説を補強するのに、大量の科学的証拠が用いられていた。一方、フランスの民族学はプロテスタントの福音主義による制約を受けておらず、人類の多元発生説を踏まえて、異なる人種の差異が大きく、その属性を変えるのは不可能だと唱えていた。
科学的人種主義は英国よりもアメリカとフランスで隆盛を極めたのは興味深い、他人種に対する偏見は、すべての市民の平等を基礎とする国民国家の革命的遺産に由来するという指摘は人種問題研究の盲点を鋭くついている。
「明示的人種主義的体制」という言葉で表現された二十世紀の人種主義について、著者は五つの特徴を挙げて説明したが、その中でもっとも重要なのは、社会的な人種隔離が法によって命じられたというものであるということだろう。アメリカの黒人差別が、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺と同じ性質のものだと論断したところに、アメリカ人学者としての倫理の高みと誇りと、強靭な精神性をつよく示している。
人種問題について考えるのは決して加害者捜しとして矮小化されるべきではない。人類の過去の精神像を走査することは、よりよい未来を作るためである。かりに人種主義を病原菌に譬(たと)えるとすれば、将来感染されないという保証は誰にもない。しかし、思索の反復を通して罹病しにくい体質を作ることはできるし、予防注射を受けて免疫力をつけることもできる。
末尾に収録された解説に訳者の批判が盛り込まれている点は画期的である。翻訳の細部についてもはや触れる余裕はないが、「反セム主義」という用語についてだけ一言。「アンチ・セミティズム」や「反ユダヤ主義」といった表現がすでに定着している以上、あえてこなれていない新造語を用いる必要はないであろう。頻出する用語であるだけに、再版の際には検討してほしい。
【この書評が収録されている書籍】
日本では人種問題というと何となく遠い国の話のような印象がある。だが、現実は決してそうではない。人間精神のあり方にかかわる問題である以上、世界のどこにもありうることだし、どのような文化の中にいようと、誰も目を背けることはできない。
この本の特徴は内容が体系的でありながら、文章はわかりやすい。思想史と関連していることもあって、この手の書物は概して学術用語が多く、叙述が難解になりがちである。だが、本書は理論的な緻密性を保ちながら、予備的な知識がなくても理解できるように書かれている。ヨーロッパと北アメリカにおいて、人種主義がどのように発生し、その宗教的、思想的背景は何か。また、どのような過程をたどって今日にいたり、何の教訓を残したのか、そうした一連の問題について、易しいところから説き起こし、徐々に理論的な分析を深めていく。アメリカの大学でよくゼミで取り上げられたり、参考書のリストに書名が挙げられたりしているのは、高度な内容と読みやすさを兼ね備えているからであろう。
二番目の特徴はこれまでの学説を踏まえながら、それを超える知見を示した点である。人種主義の歴史を記述する試みは少なく、包括的な歴史への取り組みはおおむね戦後以降のことである。そもそも人種とは何かについて、未だに広く受けられる定義はない。人種と人種主義は近代特有の思想だとする説もあれば、自民族中心主義と外国人嫌悪を人種主義的現象としてとらえ、その起源を古い時代に求める人たちもいる。著者はそのどちらの立場も取らない。そのかわり、人種的な反ユダヤ主義の先例を中世にさかのぼり、肌色にもとつく人種差別は近代に生じたものだとしている。
人種主義の流れのなかで、重要な転換点は正確に把握されている。早期の人種主義については宗教との関連を検証し、ユダヤ教徒はイエス・キリストを処刑したために、「神殺し」に対し責任を負うという宗教的な考えはユダヤ人迫害の強力な動機付けを作り出したという点をまずおさえておく。その上で、近代的な人種主義に近いものを先取りしたのは、十五、六世紀のスペインにおける、キリスト教に改宗したユダヤ教徒の扱いだ、と指摘する。中世の宗教的不寛容は後に近代の博物学的な人種主義へと接ぎ木する役割を果たした、とする解釈はきわめて説得力がある。
比較史の手法は表面上の比較で終わっていない。多様な視点を設けることの有効性をもっとも鮮やかに示したのは、科学的人種主義についての分析である。
著者の説によると、十八世紀において、人種に対する偏見を助長したのは啓蒙主義の科学的思考であったという。人類の型の分類を試みた博物学はもちろん、人類学の先駆的な仕事も例外ではなかった。黒色人種に対する彼らの記述は、結果として世俗的な人種主義や科学的な人種主義への道を切り開いた。
近代的な学問体系の確立を目指す過程においても、科学の名を冠した欧米の知的活動は人種主義の拡大に加担した。ただ、一口に欧米とはいってもそれぞれの国のあいだに違いがある。十九世紀の英国民族学は、人間が「一つの血を分かつ者」であるというキリスト教の考えを受け入れた。それに対し、アメリカの民族学は人類同一起源説を無視し、異なる人種は別々に創造され、まったく平等ではないと主張した。皮肉なことに、そうした説を補強するのに、大量の科学的証拠が用いられていた。一方、フランスの民族学はプロテスタントの福音主義による制約を受けておらず、人類の多元発生説を踏まえて、異なる人種の差異が大きく、その属性を変えるのは不可能だと唱えていた。
科学的人種主義は英国よりもアメリカとフランスで隆盛を極めたのは興味深い、他人種に対する偏見は、すべての市民の平等を基礎とする国民国家の革命的遺産に由来するという指摘は人種問題研究の盲点を鋭くついている。
「明示的人種主義的体制」という言葉で表現された二十世紀の人種主義について、著者は五つの特徴を挙げて説明したが、その中でもっとも重要なのは、社会的な人種隔離が法によって命じられたというものであるということだろう。アメリカの黒人差別が、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺と同じ性質のものだと論断したところに、アメリカ人学者としての倫理の高みと誇りと、強靭な精神性をつよく示している。
人種問題について考えるのは決して加害者捜しとして矮小化されるべきではない。人類の過去の精神像を走査することは、よりよい未来を作るためである。かりに人種主義を病原菌に譬(たと)えるとすれば、将来感染されないという保証は誰にもない。しかし、思索の反復を通して罹病しにくい体質を作ることはできるし、予防注射を受けて免疫力をつけることもできる。
末尾に収録された解説に訳者の批判が盛り込まれている点は画期的である。翻訳の細部についてもはや触れる余裕はないが、「反セム主義」という用語についてだけ一言。「アンチ・セミティズム」や「反ユダヤ主義」といった表現がすでに定着している以上、あえてこなれていない新造語を用いる必要はないであろう。頻出する用語であるだけに、再版の際には検討してほしい。
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