謎を残す二足歩行と人間の一生
初期人類の研究は、たった一つの化石の発見が大きな展開をもたらすので、発見者はそれをもとに自説にこだわり、化石の公開を拒むことさえある。本書にもそのような例がいくつか紹介されている。著者は化石の発掘・調査にも参加しながら、最初期の類人猿や初期人類の移動方法と彼らの足の研究をする古人類学者である。そこで、研究の全体像を捉えようと、関心を持った化石のある研究室をくまなく訪ねて直立二足歩行に関する考えを聞いた。客観的な調査報告と専門家としての考察には新しい知見があり、人類史を知る読み物として興味深い。人類誕生の地とされるアフリカ大陸では千五百万~一千万年前に乾燥が進み、広大な森林地帯から小さな森の点在するサバンナへの移行下で二足歩行が起きたと考えられている。DNA解析の結果も含め、チンパンジーとの共通祖先から分かれてヒト(ホミニン)という種が確立したのは七百万~五百万年前とされる。そこでの二足歩行については、「丈の高い植物から頭を出してあたりを見渡し、捕食者から身を守るため」「獲物を長時間追跡する持久力を得るため」など多くの説が出されてきた。今有力なのは、「食べ物を運ぶため」という考えだが、いずれも仮説だ。
21世紀になり、カリフォルニア大学バークレー校のT・ホワイトのチーム(東大の諏訪元(げん)教授が参加)がエチオピアで発見したアルディピテクス・ラミダス(愛称アルディ)の骨が樹上生活に適応しており、時に二足歩行をしていたと報告した。草原拡大時期もアルディは森林におり、二足歩行を始めたというのだ。著者はその足の骨を調べ、小指側はわれわれと同じだが、親指側は枝をつかむのに適したチンパンジーに似ていることを見出す。ホワイトらは「アフリカの類人猿とホミニンは、尾のない大型のサルのようなものから枝分かれした」と提唱した。ナックルウォークをしている共通祖先から二足歩行へと移行したとの思い込みへの問いかけである。しかも最近、ドイツ南部のアルプス山麓で千百万年以上前に生息していた類人猿の新種(ダヌビウス・グッゲンモシ)の化石が発見され、「直立して(地面ではなく)木の上を歩いていた」という解析結果が出たのである。ハンガリーでも、一千万年前に二足歩行できたと思われる類人猿の化石が発見された。
アフリカの森が後退し二足歩行への道ができたと思われるその頃に、ヨーロッパの森の木の上で二足歩行をしていた祖先種がいるとしたら、アフリカだけを考えてきた人類史は覆ることになる。人類が立ち上がったのではなく、チンパンジーが手をついたのなら、二足歩行研究に転換がもたらされる。もっとも、進化の物語の解明はこれで終わりはしない。研究は常に謎をふやすのである。
著者はその専門を生かし、人類の歴史から人間の一生へと目を移しての二足歩行の意味を語る。「最初の一歩」「出産と二足歩行」「ダチョウの足と人工膝関節」などの章では、難産、椎間板(ついかんばん)ヘルニアなど二足歩行ゆえの人間の悩みが綴られる。そもそも二本足の場合、一つを損なうと移動が困難になる。しかし化石は、そのような人も生き延びたことを示している。脆弱ゆえに助け合い、共感する力が強くなったサルが人間であるというのが本書の結論。嚙みしめたい。