書評
『ヴィヴィアン・リー』(文藝春秋)
たぐいまれな美女の灰
『風と共に去りぬ』は、映画も原作もずっと縁がなかった。あれは七十ミリ版が封切りされたころだったか、原題は、風に散った、というだけの普通の成句なのに、風と共に去りぬ、だなんて仰々しい、と英語の教師に教えられ、原作に対してまですっかり反感を持ってしまった記憶がある。マーガレット・ミッチェルの小説はローティーンの頃からの愛読書、と何人もの女性から聞いている。僕の反感なんて実質もなにもないわけで、女性用と思って敬遠していただけだ。映画だって同じこと。女性映画を観る面映さが映画館の前に足をとめさせなかった。感動した映画は、ときかれて大方の女性がまず指を折る傑作、といまでは知っていて、それでもまだビデオを観ないでいるのも不覚といえば不覚かもしれない。
それともうひとつ。『風と共に去りぬ』がもし戦前に日本で封切られていたら、アメリカと開戦するような無茶はしなかった、と耳にしたか読んだかしたことがあって鼻白んだ記憶。
製作費に四百二十五万ドルもの巨費を投じた『風と共に去りぬ』の撮影開始は一九三八年。
燃えるアトランタをスカーレット・オハラとレット・バトラーのスタンド・インの乗った馬車が走り抜ける場面から撮りはじめられた。じつはそのとき、まだスカーレット役の主演女優は決まっていなかった。二年半たってもまだ、映画史上最も世間の話題になったスター捜しは終わっていなかったのだ。
ヴィヴィアン・リーが現れたのはまさにその撮影現場だった。焼け落ちるアトランタを撮影するために設けられた桟敷の上で、ヴィヴィアンが製作者セルズニックの前に立ったときのことを、セルズニックは後にこう語ったそうだ。
兄が彼女を私に紹介したとき、炎が彼女の顔を照らした。私は一目見て、彼女がぴったりであることを知った。すくなくとも、彼女は私が考えていたスカーレット・オハラそのままであった。私はあのときの第一印象を永久に忘れることができないだろう。
スカーレット役でヴィヴィアンはオスカーを贈られる。スター誕生だが、世界は、最も有名な小説の中のヒロインが生きた人間になるのを見ることができたのだから、スター以上の存在の誕生というべきか。
アン・エドワーズの伝記『ヴィヴィアン・リー』を読んでいるうちに、ふしぎな気持がこみあげてきた。映画を観てもいないのに、世界で最も美しい大スターに対して厚かましいことだが……。愛惜の思いが伝記から伝わるからに違いない。
眩しいことばかりが綴られているわけではない。ヴィヴィアンは十数年後に『欲望という名の電車』のブランチという汚れ役で二度目のオスカーを贈られるが、そのころには躁鬱病の発作に苦しみ、最愛の伴侶だったローレンス・オリヴィエにも去られる。著者はそのいきさつを暴露ものふうにではなく、苦しむヴィヴィアンに寄り添うようにして語りつぐ。
彼女は五十四歳で亡くなった。本人の遺言によって、たぐいまれな美女の灰が庭にまかれ、彼女だけのものである、あの魅惑的なチェシャア・キャット・スマイルを見せた写真が残される。
どういったらいいだろうか。たとえば、僕に美しい叔母がいたとする。その叔母が美しいままに亡くなって、遺影を前にして、彼女の一生を別の優しい叔母が語るのにひたすら神妙に耳を傾けた、そんな後味だった。
早速、ビデオで『風と共に去りぬ』、観るつもり。
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