主人公はある日忽然と姿を消した妻の行方を追うタダオ。思いつきで作った数式から、大量殺戮兵器になりかねない〈極めて特殊な気圧システム、通称「まむし」〉が誕生。その開発に携わっている前途有望な研究者です。タダオが妻を捜す過程に、この「まむし」をめぐっての妻の父親を黒幕とする戦後史の俯瞰に迫る陰謀譚という魅力的なサブストーリーが絡むと聞けば、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を思い起こす方もおられましょう。で、物語のスケールではかなわないものの、藤谷作品はある一点において、かの傑作大長篇を凌駕してるんですの。
それは、妻。タダオの妻の異様な存在感にあるのです。美しい外見と突飛な性格を併せ持つ妻は、初めて会った合コンからタダオを見そめ、いつまでたっても手も握ってこない朴念仁のタダオに業を煮やし、逆プロポーズ。〈私、今、身体(からだ)中が興奮してるの。爆笑したいくらい。こんなところでクダ巻いてる場合じゃないわ。すぐ私の部屋に行きましょう。(略)ああ、あなた、とんでもないところに来ちゃったわね! それに私も! わけの判んないクレイジー・ワールドヘ、よーこそー! って感じ!〉と、並みの男なら即座に撤退、決して据え膳を食ったりしない、そんな剣呑な精神状態を開示するのです。
ところが巻き込まれキャラのタダオは流されるまま、長崎の素封家である彼女の実家を来訪。ここで遭遇する、大金持ちのわりには見た目が貧相な妻の父親というのがまたかなりの曲者で、この父娘のキャラクターだけで飯が三杯はいけるというくらい香ばしいのですが、愉快な詳細は各自読んでお確かめ下さいまし。大笑い間違いなしですのっ。
少しずつ明らかになっていく妻の性格は、研究にしか興味がなく常識の埒内の意見しか言えないタダオを比べると、比較にならないほど個性的です。身にまとうものすべてをピンクで統一し、亡夫への貞操を貫くべく夫が遺した男物の下着を身につけ、ほとんど眠らない人生を送った大屋政子を尊敬し、野球の勝敗から殺人事件までテレビや新聞で知る出来事の全てを「私のせいだ」と思う、そんな誇大妄想狂。
「世界のありとあらゆるものは繋がっているからよ」妻は静かに答えた。「だから私とだって繋がってる。この世界で起こっていることは、全部私に責任があるんだわ」
でも、常識人のタダオはそんな妻の考え方をまったく受け入れることができません。
この小説は、タダオが見失ってしまった妻の気持ちや理解できなかった深遠な哲学と真っ直ぐ向き合い、自分の問題として身の内に取り込むまでの冒険をメインストーリーとしているのですが、作者の藤谷さんはタダオに安易なハッピーエンドを用意してやらないんです。ようやく再会できた妻にタダオがふるう「君のいった通りだった」云々といった演説への、妻からのしっぺ返しを描く33章は、全世界の婦女子から万雷の拍手を受けましょう。藤谷さんは女性を身体もあれば脳味噌も意志もある存在として描いています。女性性を男のドリーム目線で描きがちな村上春樹にはない、それは藤谷さんの“人間としての”美質ではありますまいか。嗚呼、いしいしんじ『みずうみ』との共時性についても触れたかったのに……。とっちらかった感想になっちゃいましたけど、言いたいことはひとつ。
傑作だから、買って読め。そんだけ。
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