書評
『漫画家が見た 百年前の西洋 ――近藤浩一路『異国膝栗毛』の洋行』(筑摩書房)
他者へのまなざし、映し出された自己
西洋見聞録のたぐいは幕末にさかのぼるが、その多くは遊記や日記という様式で記されている。文化交渉史の資料としてこれまでも注目されてきたが、そのほとんどが文字による記述である。近藤浩一路(こういちろ)の『異国膝栗毛』は文章とともに、視覚的な印象が絵で表象されているところに特徴がある。一頁の文章に対し、平均して一枚の漫画が配されており、文字の記述も滑稽本の表象趣向とのつながりをほのめかしている。
写真と違い、漫画には誇張があり、諷刺があり、さらには遊びも笑いもある。写実的な部分と劇画的な部分をどう見分けるか、諧謔(かいぎゃく)という心理の迷彩を見透かし、他者に向けるまなざしと文化の自己定義をどう読み解くかで、批評者の眼識と手腕が問われることになる。
重層的な情報が入り組んだテクストと相対して、著者が取った手法はいたって正統派的なものである。欧州旅行について、近藤浩一路はほかにも随筆を書いたことがある。『異国膝栗毛』を検証する場合、重要な傍証として生かされている。いっぽう、同行者の証言や旅行案内、統計数字など同時代の史料も丁寧に調べられている。そうした地道な作業によって、大正十年代初頭の西洋認識の一端は臨場感にあふれた筆致で再現された。
大正時代について人々のイメージはまちまちである。未完成の近代と見られることもあれば、現代の発端という人もいる。歴史的過去を振り返るとき、異文化体験というレンズをあいだに置くと、思わぬ風景が現れてきた。
幕末や明治前期にパリを訪れた日本人は一様に欧米の物質文明に圧倒された。ところが『異国膝栗毛』の精緻な読みを通して、大正十年代の西洋文明観には変化が起きたことがわかる。「一等国」の仲間入りを果たしたという自意識が膨張し、パリを見るときも、ロンドンを見るときも、もはやお上りさん気分一辺倒ではない。第一次世界大戦に敗戦したドイツに対してはむしろ上からの目線で眺めていた。
ただ、欧米列強と肩を並べたとはいっても、物質文明において落差はすべて解消されたわけではない。東京の地下鉄はまだ開通していなかったから、パリの地下鉄を見ると、やはり嘆声をもらしている。大正十年、日本の自動車台数は一万二一一六台を記録するも、パリに来てみたら、四方八方から湧いてくる車の洪水にはびっくりした。東京にも三越、白木屋、松坂屋といった近代的な百貨店はあったが、パリのデパートの大きさと品ぞろえの豊富さを見て歯ぎしりをした。
画家の目に映った欧州の事象も興味が尽きないが、渡航前のドタバタはマジックミラーのように、欧米文化に対するアンビバレントを映し出した。近藤は漫画記者としてサラリーマン生活を経験したが、欧州渡航の前に背広も革靴も作ったことがないし、身に着けたこともなかった。西洋料理は食べるどころか、料理名さえ知らない。パン食からホテルの利用法まで一から練習しないといけない始末である。大正十年代のはじめになっても洋風化は庶民の日常から遠く離れたところにあった。そのことが西洋体験の副産物として炙り出されている。
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