五〇年近くコレクションしてきてわかったことがある。なんでこんなものまで集める必要があるのだろうと自分でも思ってしまうようなコレクションこそが本当はすごいコレクションになるということ。コレクション自体に「時間性」が内包されているため、その「時間性」の意味はコレクター自身には最後になってみないとわからないからだ。
日本一のコレクション数を誇る国立科学博物館(科博)の「内部の研究者として初めて館長職」を務めている著者の博物館行政に対する危機感の表明である本書は、たんにコレクション=博物館の本質を示すばかりではなく、科学そのものの本質についても貴重な示唆を与えてくれる一冊である。
解剖学者としてスタートした著者は、途中から古人骨に含まれるDNAの解析を専門とするようになるが、研究は分析ツールの限界によりミトコンドリアDNAの分析に止まり、核ゲノムの解析にまでは至らなかった。だが、次世代シークエンサの開発により二〇一〇年以後、古代人の核ゲノムの解析が可能になったため、人類進化の研究は新しいステージを迎える。著者の研究対象である核ゲノムの解析による日本人の起源究明もその一つである。ではこうした発見がなにゆえに可能になったのかといえば、科博を含む各国の博物館に古人骨が収集・保存されていたからにほかならない。このことは科博のすべてのコレクションについていえる。「今私たちが集めている標本や資料は未来の研究者が分析するための材料となります。つまり未来の研究者へ標本を託すために働いていると言えるのです」
ところが、博物館行政に携わる人はこうしたコレクションの時間性についての真実を理解しない。「日本では、いかにして今お金を稼ぐか、ということを最優先にして国の多くの政策が決定されるので、過去や未来に関わる博物館は運営に苦労することになります」
目先の利益にこだわる傾向の悪い例が国立博物館の行政法人化だが、著者はこれを奇貨とし、科博の展示を素人と研究者を結ぶ接点とするよう努力する。「国立科学博物館の研究者は、伝えたいことを整理し、来館者との間にどのような標本を置いて、どのような説明を加えれば、意図することが伝わるのかということを、企画展を作っていく中で学んでいます」
こうした工夫と努力により、科博の入場者数は順調に増加していったが、二〇年にコロナ禍が襲う。来館者減とウクライナ戦争で空調のための電気代さえ工面できなくなったのだ。かくなるうえはクラウドファンディング(クラファン)しかないと結論し、「地球の宝を守れ」と題したクラファンを開始する。すると、記者会見を始めたとたん目標の一億円が九時間で達成され、最終的には九億二千万円に達する。
幅広く、時間のスケールを考慮にいれながら収集を行った大量の標本・資料を分類・保管するというインプットがあるからこそ、それを元にした科学的な研究が行われ、その成果を展示する展覧会が可能になる。インプットなければアウトプットなしである。
コレクションとはなにか、科学とはなにかについて再考を迫る碩学(せきがく)による問題提起の本。