時代を切り開くか時代に殉じるか
白河が時代を開いた政治家といえば、永井の扱った金沢貞顕(さだあき)は時代に殉じた政治家であったといえよう。鎌倉幕府の執権北条氏の一門にあって、北条氏の家督である得宗(とくそう)を支える存在として位置づけられ、執権にも就任したものの、やがて鎌倉幕府の滅亡に際しては北条高時とともに鎌倉の東勝寺で自刃してしまうのである。永井は、貞顕について、北条高時政権を支えた有能な保守本流の政治家で、新しい時代を切り開いていく人ではなかった、と評する。気配りと調整によって幕府をまとめていくことには長けていた、ともいう。
何ともはや、白河法皇とは対照的な人物であり、まさに現在の政治家に多いタイプといえようか。その貞顕の生涯を丹念に探り、誕生に始まって六波羅探題として京に赴任していた時期、執権に至る幕府の政治家としての時期、さらに鎌倉末期の動乱と幕府滅亡の時期について詳しく跡付ける。また貞顕に仕えた人々や貞顕の所領、貞顕に対する評価などにも触れて、定評のある「人物叢書」の一冊として労作の名に値しよう。
とくにいる金沢文庫に残る貞顕の書状を丹念に読みこみ、その動きを明らかにした点は注目に値する。史料が少ないためこの時代の政治家を扱うことは極めて難しいだけに、今後の基準作になるものといえよう。
ただ保守本流の政治家という評価に見られ著者が勤めてるごとく、積極的な評価があまり見られないために、やや抑えた筆致ともあいまって、いささか退屈な感がする。
著者が記しているように、貞顕は祖父が築いた金沢文庫の蔵書を整備するために、京の六波羅に赴任していた時にも書物を蒐集(しゅうしゅう)し、書写していたのであれば、この事実をもっと高く評価し、その意味を探るべきであったろう。
金沢文庫本はその後の古典文化の図書館として機能するようになり、文化史上で大きな役割を果たしたことはよく知られている。そうであれば、政治家にとって、文化とは何かを考える上で問題を提起することにもなったろう。