書評
『草と木が語る日本の中世』(岩波書店)
豊富な事例で示す新たな知見
日本の中世においては、草や木にも仏性があるという本覚思想が広がっており、能などの演目にはそれをテーマにしたものが多くあった。また樹木には神が宿る、または降臨する、と考えられていたこともよく知られている。著者はそうした面とともに、草木を中世の人々がいかに利用し、管理してきたのかに目を凝らし、「草や木から歴史を描くこと」を目指し、史料を博捜してゆく。
たとえば松。東日本大震災の津波により根こそぎ倒された陸前高田の松原が有名となり、1本だけ残された松の再生が復興の象徴とされているが、松が日本列島に広まったのが中世であり、それがどうしてなのかを明らかにしてゆく。
また鎌倉の鶴岡八幡宮の銀杏(イチョウ)が2年前に倒れたことも記憶に新しいが、この神木ともいえる銀杏が大陸から入ってきたのも中世であれば、公暁が隠れたという伝説はあたらないといったことなど、草と木がいかに考えられ、生活の中で利用されたのかを探っている。
草木の百科事典といった趣があって、まことに便利な本になっている。今まで見過ごされてきた草や木に関する記述が、実はこうした意味をもっていたのかを明らかにするなど新知見に満ちている。
全体は5章からなり、草木に関する中世人の認識を第1章で、第2章では草花と中世の人々の生活との関わりを扱い、第3章では木の利用と流通などの産業・商業の面から考察し、最後に植生の変化と資源管理について探る。
古文書や日記・文学史料などの文献や絵巻、考古資料を駆使し、それらの記事から実態把握に努めたのが最大の成果といえよう。さらに草木の資源管理に関わった草苅散所や木守の存在に注目し、管理がいかになされたのかを明らかにしている。これからの研究の進展を促す好著といえよう。
ただ、何故(なぜ)日本の中世に限る必要があったのかが、もう一つ伝わってこないのが残念。中世の草木に注目することによって何が明らかになるのか、といった点にもっと執着してもよかったか。『古今著聞集』の草木の巻の記述などを有効に使ったならば、とも思った。それにしても事例の豊富なことを高く評価したい。
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