書評
『乱舞の中世: 白拍子・乱拍子・猿楽』(吉川弘文館)
千年前の白拍子の舞 奇跡的に復元
白拍子といえば祇王(ぎおう)や静御前(しずかごぜん)といった平安朝末期を彩った舞姫のことがまず思い浮かぶが、白拍子というのは拍子すなわちリズムの名称であって職業名ではない。リズムの名称がダンスの名称に転じ、さらにはダンサーをも指すようになったのである。だが、この白拍子、いかなる音楽であり舞踊であったのか、いまひとつよく分からない。そういうことをかつて国文学の泰斗・小西甚一が書いていて、千年前のことなのだから当然だと思ったことがあったが、本書を読んで驚いた。資料に広く当たって、じつによく復元されているからである。奇跡的に思えるほどだ。「乱れる中世」というのがプロローグだが、戦乱の乱れでは必ずしもない。むしろ階層の乱れ、性差の乱れ、信仰の乱れであって、つまるところ、同時代の宋代中国に起因する都市化、すなわち貨幣経済の活性化に伴う乱れであって、むしろ近世の予兆のようなものだ。この時代、今様(いまよう)が流行(はや)り、乱舞が流行った。以下、「乱舞の時代の幕開け」「白拍子の世界」「乱拍子の世界」「〈翁〉と白拍子・乱拍子」「能と白拍子・乱拍子」と進み、エピローグ「乱舞の身体」で閉じられる。つまり著者は、白拍子の舞を復元するために、まず猿楽の流行とともに始まった乱舞なるものを復元し、次に白拍子と乱拍子を復元してみせる。さらに、その白拍子・乱拍子が、能の起源に位置するとされる「翁」にいかに吸収されていったかを示し、とりわけ白拍子が能の「序ノ舞」を形成し、乱拍子が「道成寺(どうじょうじ)」へと取り込まれてゆく道筋を検証してみせるのである。
映像が発明される以前の身体芸術を復元するのは、文学や美術と違って、きわめて困難である。著者の探索がどこか推理小説に似てくるのは必然だが、その過程で、今様の最盛期が白河院の時代であり、後白河院の『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』はむしろその記録であって、後白河院から後鳥羽院への時代はすでに白拍子・乱拍子などによる乱舞の時代へと移っていたことなどが、時代の雰囲気とともに明らかにされてゆく。白拍子の女舞は男装でなされたが、童舞すなわち稚児舞は女装でなされた。祭でその稚児舞を要求したのが、寺院の衆徒(しゅと)すなわち僧兵たちにほかならなかった。義経と弁慶のさまざまな物語もこのような背景から生まれたわけである。
はじめゆっくりと、後に鼓と責め合うように激しくという白拍子舞の基本は、それだけですでに能を思わせるに十分だが、全編にわたって印象づけられるのは、天才・世阿弥(ぜあみ)によって高度に芸術化される以前の猿楽や白拍子のリズムは、かなり速かったのではないかということである。著者は旧著『今様の時代』で、同じように今様を復元してみせたが、そこでも朗々として高く晴れやかな声が好まれていた可能性を強く示唆している。すなわち、今様にせよ白拍子にせよ、現在行われている古典芸能とはずいぶん違っていたのではないかと思わせるのである。大正期の歌舞伎の映像を見て台詞(せりふ)や身振りのテンポが意外に速いことに驚いたことがある。著者の視点から当時の乱舞・白拍子・乱拍子を復元上演してみたらさぞ面白いだろう。
『今様の時代』は、馬場光子『今様のこころとことば』、植木朝子『梁塵秘抄とその周縁』など先行する仕事に十分に留意していた。本書では、参照された文献に新井恒易(つねやす)の『中世芸能の研究』が入っていて驚いた。民俗学者の地道なフィールド・ワークである。
読みやすく面白いが、学問的な骨格のしっかりした良書である。
[書き手] 三浦 雅士(みうら まさし・文芸評論家。1946年生まれ。著書『メランコリーの水脈』『身体の零度』『青春の終焉』『孤独の発明』など多数。)