欲望と破滅と 19世紀の仁義なき戦い
ゾラは小説の黄金時代の最後の巨人だ。彼のあとには、プルーストとジョイスとカフカがやって来て、小説は人間の偉大と悲惨を描きあげることをやめ、精神と言語と世界の不可解さの探求へとのめりこんでいく。二十世紀の始まりである。一方、ゾラの小説は、十九世紀ヨーロッパの百科全書だ。最も高度にして卑賎な文明の実態をつぶさに描き、その巨大なエネルギーの渦巻きを追いかける。本書は、この百科全書の「経済」篇である。
主人公はサッカールという株屋=銀行家で、金にとりつかれた彼のエネルギーの異常な高揚が、この小説の主題だ。
サッカールの野心は、古代文明の揺籃の地である地中海世界を征服すること。すなわち、オリエントをおおいつくす鉄道網を作ること。その事業資金を生む銀行の株価を操作することなのである。
敵は、ユダヤ人の大銀行家。戦いの手段は、投機バブルと新聞操作と宣伝戦略。サッカールは、汚辱のなかのアレクサンドロス大王であり、これは、ひとりの人間の欲望が世界の巨大さを相手にまだ戦えると信じていた時代の物語だ。
しかし、真の主人公は、冒頭で沸騰するように描かれるパリの証券取引所である。証券取引所は「経済」の縮図、世界の一面をそこに圧縮したるつぼなのだ。
悪も善も生命も死も、金から生まれてくる。金の狂乱を中心に、人間にかかわるあらゆる悲劇とグロテスクな喜劇が、暴風雨のような荒々しさと顕微鏡で覗くような細密さで活写されていく。
バブル経済は現代に限った話ではなく、人間の欲望という飽くなきエネルギーに根ざしていることがよく分かる。そして、金と同じ力で、愛も性欲も社会正義も向上心も人を破滅させる。その群像劇の苦い後味もじっくりと味わいたい。
日本で八十七年ぶりの新訳であり、一度スピーディな訳文に乗ったら、圧倒的な勢いで物語に運ばれてしまう。通俗小説なんか軽く蹴ちらす勢いで、十九世紀の仁義なき戦いが繰り広げられるのだ。
十九や二十歳の娘が芥川賞をとったと浮かれている場合ではない。若き小説家たちよ、ゾラを読め!