それは神仏からのメッセージ
夢か現実かと、疑うような事件が起き、バーチャルな世界がそれを加速化している。どうもバブルの夢の崩壊を経てから後、湾岸戦争、地下鉄サリン事件、そしてこのたびの多発テロ事件と、「悪夢の時代」に入ったかのようだ。こうした時には「良い夢」を見たいと思う。どうしたら良い夢が見られるのか。
そう思ったら、歴史を振り返ってみるのが良い。夢に力があった時代、それが中世であった、と本書の著者はいう。
夢は神聖な場である神社や寺院などに参籠し、精進して祈ると、明け方の、聖なる時に夢を見ることになる。そうした場は様々に生まれていた。
法隆寺の夢殿はその早い例であるが、中世になると、寺院の礼所や神社の拝所がその機能をはたすべく設けられた。
夢を見ることは見たものの、何を意味しているのかよくわからない。
そうした時には、夢を解いてくれる夢解きの巫女や陰陽師などに頼むのがよい。きっと良い夢であると語ってくれよう。
しかし悪い夢だったらどうしようか。
その時は、陰陽師に夢祭を行ってもらい夢を違えさせるのだ。
自分でも良い夢を見たと思う。これは神仏からのメッセージだから、私の思いはかないそうだ。しかし本当だろうか。
でも周りの人も同じような夢を見たと言っているではないか。それで確信がもてよう。
だが、ついつい見た良い夢のことを人にしゃべってしまった。夢は取られたり、買われると言われ、夢は語るな、とも言われているが、大丈夫だろうか。
それはつまらぬ人に語ったためにそうなるのであって、信頼できる人に語ったのであれば、大丈夫だ。
それで安心した。夢を語り合える人達があっての、私であると納得した。
ところで昨日の夜に見た夢は、自分のことではない。どうも神仏が私を通して社会に知らせようとしたものらしい。
こうした時は夢の記録をしたため、人々に知らせたほうがよい、という。高札などに記して神社の鳥居の前にでも立てようか、いやいや、あの方に知らせれば、何とかしてくれよう。
夢の記録を受け取った政治家は、政治の立て直しをきっと考えてくれるであろう。まさか自分が見た夢とは違うなどと言って、取り合わないことなんてないだろうね。
本書はこうした夢の具体例を多数とりあげて平易な解説を加え、夢が大きな力をもっていた中世の在り方を探っている。
壮大な夢を見た明恵の『夢記(ゆめのき)』を始めとする夢の記録、夢にまつわる珍談・奇談を収録した『今昔物語集』などの説話集、夢の場を描く『春日権現験記絵(げんきえ)』などの絵巻物、夢語り共同体を示す『看聞御記(かんもんぎょき)』などの日記、といった中世の文献を博捜し、難解な文章を読み解いて、わかりやすく語ってくれる。一気に読ませてしまう好著である。
こうして読んでゆくうちに、私に聞こえてきたのが、『梁塵秘抄』に載る次の今様であった。
仏は常にいませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見えたまふ
こうした歌などもとりあげて欲しかった、と思う。そして、今の世の悪夢を夢違えさせて欲しい、とついつい願ってしまうのは、甘い考えだろうか。
【旧版】