書評
『日本の外交政策 1869‐1942―霞が関から三宅坂へ』(ミネルヴァ書房)
「帝国日本」の外務大臣たち
外務大臣のパーソナリティやリーダーシップのあり方を追究することで、帝国日本の外交政策をはたして理解できるのだろうか。イギリスにおける日本外交研究の大家たる著者は、この課題に真正面からとりくみ一書をものにした。明治維新から敗戦までの外務省は、元老からの自立、政党とのスタンスのとり方、軍部との対抗から従属へと、常にその時代の最大のアクターとの間でヘゲモニーを握るのに大童(おおわらわ)であった。元老と対等に渡り合った陸奥宗光や青木周蔵の場合は、外務大臣や外務省という制度の力ではなく、彼等自身に備わった政治力がものを言った。次いで小村寿太郎は元老との力関係の中に、はっきりと外務大臣としての役割を自覚化させていった。
これに対して元老からの自立を最大の課題とした加藤高明は、同志会という政党を率いることにより外務省の影響力を強め、三菱財閥という確たる独立の基盤をもつことにより時勢に迎合しない姿勢を確立した。続いて一九二〇年代の外交をリードした幣原喜重郎は、加藤と同様三菱財閥という財政的に独立の基盤をもち自主性を維持したが、政党に対しては常に距離を保っていた。
一九三〇年代の広田弘毅は、個人的には資産がなく政治的には政党のバックアップもないプロの外務大臣の限界を露呈したと言ってよい。そして外交官出身ではないが卓越した個人的な政治力を期待された宇垣一成の失敗の後、外務省は軍部の前にまったくなす術(すべ)がなくなるのである。
結局帝国日本では、外務省の制度としての力は遂に安定しなかったのではないか。むしろイギリスの貴族と同じく、加藤・幣原そして吉田茂のような資産家によって初めて、外交の自立を展望しえたのではないか。著者はオーソドックスな叙述の中にさまざまな外務大臣像を描き出す。原著刊行から二十年たっても鮮度はおちない、一般読者にもわかりやすい訳書。宮本盛太郎ほか訳。
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