書評

『百鬼園先生-内田百閒全集月報集成』(中央公論新社)

  • 2025/01/19
百鬼園先生-内田百閒全集月報集成 / 佐藤 聖
百鬼園先生-内田百閒全集月報集成
  • 著者:佐藤 聖
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(513ページ)
  • 発売日:2021-01-07
  • ISBN-10:4120053741
  • ISBN-13:978-4120053740
内容紹介:
没後すぐの1971年から刊行の始まった講談社版、80年代後半の福武書店版。二つの全集月報に、福武文庫シリーズの解説を加え初集成する。86人の執筆者が語る百閒の人と文学。略年譜、作品索引を… もっと読む
没後すぐの1971年から刊行の始まった講談社版、80年代後半の福武書店版。二つの全集月報に、福武文庫シリーズの解説を加え初集成する。86人の執筆者が語る百閒の人と文学。略年譜、作品索引を付す。没後50年記念出版。

執筆者一覧(50音順)
青木槐三/赤瀬川隼/阿川弘之/浅見淵/阿部昭/天沢退二郎/荒川洋治/粟津則雄/池内紀/井坂洋子/石堂淑朗/出隆/岩川隆/上田健次郎/上月木代次/薄井ゆうじ/内田克巳/内田道雄/江國滋/江中直紀/海老原惇/荻野アンナ/奥本大三郎/長部日出雄/小田切進/金井美恵子/川本三郎/川村二郎/河盛好蔵/神吉拓郎/紀田順一郎/木畑貞清/木村毅/倉橋由美子/栗村盛孝/車谷弘/黒澤明/源氏鶏太/剛山正俊/小島信夫/後藤亮/小林安宅/小林博/小町谷照彦/雑賀進/佐藤佐太郎/澤野久雄/篠田知和基/清水清兵衛/庄野潤三/高橋英夫/高橋睦郎/高橋義孝/高原四郎/瀧井孝作/竹内道之助/竹西寛子/多田基/種村季弘/柘植光彦/津島佑子/戸板康二/内藤吐天/永田博/中村武志/夏目純一/野口武彦/平岩八郎/平岡篤頼/福永武彦/富士川義之/古井由吉/本多顕彰/正木ひろし/松浦寿輝/松下英麿/宮城喜代子/村山古郷/森内俊雄/安岡章太郎/山口瞳/山田風太郎/吉田健一/吉田直哉/吉田熈生/吉行淳之介

言葉の錬金術を照らす87の証言

内田百閒(ひゃっけん)は一九七一年四月、八十一歳で死去した。今年は没後五十年。それを記念して編まれた本書には、講談社版『内田百閒全集』(全十巻、七三年完結)および福武書店版『新輯(しんしゅう) 内田百閒全集』(全三十三巻、八九年完結)の月報と両者の内容見本、さらに福武文庫の百閒シリーズに添えられた解説が収められている。別刷の月報は全集でしか読むことができない。いくら熱心な愛読者でも大部の全集を二種類所有するのは難しいだろうから、各号につき数名の書き手による小文の集成は、誠にありがたい企画である。寄稿者は、百閒を愛読する作家、批評家、担当編集者、法政大学時代の教え子から主治医まで、文庫解説者もあわせて総勢八十七名。それぞれの立場からこの作家のひととなりや仕事ぶりに触れた証言はどれも興味深い。

一八八九年(明治二十二年)、岡山の造り酒屋の長男として生まれた百閒こと内田栄造は、十代半ばから漱石に傾倒し、雑誌『中学世界』に投稿した写生文で早くから注目されていたが、六高時代には俳句に熱中し、俳号を地元の百間川にちなんで百間とした。ここで疑問が生じる。筆名の門のなかは「日」か「月」か。

高校の同窓生で哲学者の出隆(いでたかし)によると、東京が焼け野原に帰す前は「日」、その後が「月」になっているのだが、著者から贈られた本の直筆署名では「昭和十二年以来、日は月に化け、戦後にはさらに鬼になっていた」という。百間・百閒・百鬼園。日と月を凝視し、その違いを正確きわまりない言葉で表現しうるこの作家の眼力を示すエピソードだ。

一九一〇年に上京して東京帝大に進学し、ドイツ文学を学びながら漱石山房に出入りしはじめた百閒にとって、師の文学は「絶対的なもの」だった。若き百閒は著作の校正を任され、第一次の漱石全集編纂の折には「漱石校正文法」を作成して、用字の一つ一つを貪欲に吸収した。第一短篇集『冥途』はその成果でもあって、『夢十夜』の影がある。しかし仏文学者の河盛好蔵は、六十歳を過ぎて『吾輩は猫である』を読み返した百閒が、「先生の若い時の作品だけあって、やっぱり《年端もゆかぬ漱石が》というところがあるね」と評したのを直接聞いている。「絶対的なもの」のゆらぎも、月報を並べるとこんなふうに相対化されるのだ。

なんの用もないのにただ汽車に乗り、みずから課した規則を理不尽に押し通すあの阿房(あほう)列車シリーズの奇妙なユーモアと、無から有を生む錬金術としての借金をめぐる逸話がかなりある。目的のない無為な旅をいかに楽しみ、いかに金を借りるか。尋常ではない手管とそれを正当化する屁理屈の美しさについては、中村武志の一文で堪能できるだろう。

百閒の文学をそうした生身の作家と切り離し、言葉そのものの力を注視する読みも可能である。明晰な言葉による明瞭な描写が、自意識も内面もない「何か異様な空虚」(松浦寿輝)を感じさせる凄み。「日」と「月」のどちらも隠しておける深い穴の奥には複数の鬼がいて、「私」の肉体を奪う。とはいえ身体感覚なしで骨に刻む校正文法などできはしない。本書に集められた証言のすべてが、読みを抽象に偏らせない百閒の、言葉の錬金術のありかを示している。
百鬼園先生-内田百閒全集月報集成 / 佐藤 聖
百鬼園先生-内田百閒全集月報集成
  • 著者:佐藤 聖
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(513ページ)
  • 発売日:2021-01-07
  • ISBN-10:4120053741
  • ISBN-13:978-4120053740
内容紹介:
没後すぐの1971年から刊行の始まった講談社版、80年代後半の福武書店版。二つの全集月報に、福武文庫シリーズの解説を加え初集成する。86人の執筆者が語る百閒の人と文学。略年譜、作品索引を… もっと読む
没後すぐの1971年から刊行の始まった講談社版、80年代後半の福武書店版。二つの全集月報に、福武文庫シリーズの解説を加え初集成する。86人の執筆者が語る百閒の人と文学。略年譜、作品索引を付す。没後50年記念出版。

執筆者一覧(50音順)
青木槐三/赤瀬川隼/阿川弘之/浅見淵/阿部昭/天沢退二郎/荒川洋治/粟津則雄/池内紀/井坂洋子/石堂淑朗/出隆/岩川隆/上田健次郎/上月木代次/薄井ゆうじ/内田克巳/内田道雄/江國滋/江中直紀/海老原惇/荻野アンナ/奥本大三郎/長部日出雄/小田切進/金井美恵子/川本三郎/川村二郎/河盛好蔵/神吉拓郎/紀田順一郎/木畑貞清/木村毅/倉橋由美子/栗村盛孝/車谷弘/黒澤明/源氏鶏太/剛山正俊/小島信夫/後藤亮/小林安宅/小林博/小町谷照彦/雑賀進/佐藤佐太郎/澤野久雄/篠田知和基/清水清兵衛/庄野潤三/高橋英夫/高橋睦郎/高橋義孝/高原四郎/瀧井孝作/竹内道之助/竹西寛子/多田基/種村季弘/柘植光彦/津島佑子/戸板康二/内藤吐天/永田博/中村武志/夏目純一/野口武彦/平岩八郎/平岡篤頼/福永武彦/富士川義之/古井由吉/本多顕彰/正木ひろし/松浦寿輝/松下英麿/宮城喜代子/村山古郷/森内俊雄/安岡章太郎/山口瞳/山田風太郎/吉田健一/吉田直哉/吉田熈生/吉行淳之介

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2021年3月13日

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