書評

『科学から空想へ』(藤原書店)

  • 2017/08/28
科学から空想へ / 石井 洋二郎
科学から空想へ
  • 著者:石井 洋二郎
  • 出版社:藤原書店
  • 装丁:単行本(358ページ)
  • 発売日:2009-04-21
  • ISBN-10:4894346818
  • ISBN-13:978-4894346819
内容紹介:
狂気じみた"難解"な思想。信じるか、信じないか、二者択一を迫るテクスト。その情念と現代性を解き明かす、初のフーリエ論。

理性の斜面から挑んだフーリエ思想

二〇世紀を動かした原理はマルクスではなく、サン・シモンのそれであった。これが私の結論である。では、二十一世紀は? フーリエしかない。これが私の直感である。

だが、フーリエというのは、同時代のデューリングのような凡人には狂人としか映らない超絶思想家である。従ってフーリエを論じるなら、その奇矯(ききょう)な文章の真意(シニフィエ)を明晰(めいせき)な理性の篩(ふるい)にかけ、解読可能な情報を拾い出すか、あるいはその特異な文体、語彙(ごい)などの感覚的側面(シニフィアン)を詩や音楽として味わうかのいずれかしかない。バルト、ブルトン、クロソウスキーなどが試みたのは後者の方だが、本書はとりあえず、前者の方からフーリエに取り組もうとする。ロートレアモン研究の第一人者であり、難解なピエール・ブルデューの翻訳者である著者は断然「理性の人」だからだ。

著者はまず、フーリエをサン・シモン、オーウェンと並ぶ「空想社会主義者」と地位づけたマルクスとエンゲルスに言及しながら、フーリエはむしろ「空想的資本主義者」ではないかと指摘する。

フーリエの唱導する農業協同体は『平等』の理念を原理とするものではまったくない。むしろ出発点における差異を差異として認めた上で、これを競争心や自負心といったポジティヴな情念によって賦活し、組織全体のダイナミズムを刺激することで種々の個別的な軋轢(あつれき)や齟齬(そご)を発展的に解消しようというのが、その基本的ヴィジョンである。とすれば、これはいわば理想化された市場主義とでもいうべき考え方であって、たとえ『空想的』という形容詞を冠したとしても、『社会主義』と呼ぶにはいささかの躊躇(ちゅうちょ)を覚えざるをえない性格のものではあるまいか

では、フーリエの「空想的資本主義」は自由放任の資本主義とはどうちがうのか?

フーリエは資本主義の放埒(ほうらつ)に対しては何らかの制御システムは必要と考えるが、協同体には競争原理が不可欠であることは認める。人間は情念の生き物である以上、情念によって競争を余儀なくされるからだ。

フーリエによれば、人間の情念は、五つの第一情念【味覚・触覚・視覚・聴覚・嗅覚(きゅうかく)】、四つの第二情念【名誉・友情・恋愛・家族愛】、三つの第三情念【複合・移り気・密謀】の合計十二種類の情念からなるが、協同体はこれら情念の持ち主である八一〇人(ないしはその二倍)の規模で構成され、その成員が「累進セクト」「情念系列」といった下分類的協同体に正しく組み込まれたときに初めて、「情念引力」ないしは「情念斥力(せきりょく)」が働いて一つの調和へと収斂(しゅうれん)していくという。

こうしたフーリエの協同体の理念は「真の博愛主義者の優しい友愛」を前提とするオーウェンのそれとはまったく異なっている。すなわち、フーリエは「調和を組織する前に、少なくとも五万の不調和を爆発させなければならない」と、最初から調和を志向するオーウェンに激しく反駁(はんばく)する。

フーリエの思い描く協同体は、オーウェンの道徳家的・偽善的な友愛協調路線とは異なって「人間が人間である限りけっして免れることのできない不一致や衝突をそのまま引き受けながら、それ自体をむしろ持続的なエネルギーに変換することによって協同体の生産活動を推進することをめざす」ものだからである。

これは、ともするとオーウェン流の偽善で学校や会社などの協同を組織しようと考えがちな日本人にとっては参照すべき偉大なる知恵となるのではないか?

フーリエの協同体は「差異の消滅あるいは縮滅をめざすものではなく、むしろ健全な差異の保持による集団の活力の増大を志向するものである」。

とはいえ、理性によってフーリエを理解しようとすれば、このあたりが限界であることは著者とても認めざるをえない。なぜなら、フーリエの本当にすごいところは、語られているもの(シニフィエ)ではなく、語る行為そのもの(シニフィアン)であるからだ。フーリエをJ・L・オースティンのいう「確認的」なレベルで捉(とら)えてはいけない。むしろ、その文章は「遂行的」なもの、人々を何らかの行為へと差し向ける「漠然とした『うながし』のようなもの」と理解すべきなのである。というわけで、最終的結論は、バルトやブルトンのそれに近くなる。

「私たちは思考の軸を一八〇度回転させ、『空想から科学へ』から『科学から空想へ』と、歴史のヴェクトルを逆転させなければならない。こうして時間の彼方に向けてまっすぐに投射された『反(アンチ)歴史』の延長線上に、フーリエは新たな相貌(そうぼう)をまとってよみがえる」

登攀(とうはん)を拒絶するアイガー北壁のようなフーリエ思想に「理性の斜面」から果敢に挑んだ勇気ある試みである。
科学から空想へ / 石井 洋二郎
科学から空想へ
  • 著者:石井 洋二郎
  • 出版社:藤原書店
  • 装丁:単行本(358ページ)
  • 発売日:2009-04-21
  • ISBN-10:4894346818
  • ISBN-13:978-4894346819
内容紹介:
狂気じみた"難解"な思想。信じるか、信じないか、二者択一を迫るテクスト。その情念と現代性を解き明かす、初のフーリエ論。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2009年5月10日

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