なぜ『ディスタンクシオン』のように難解で高価な書物が、これほどのロングセラーになっているのか
現代の古典
ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』がフランスで出版されたのは1979年、日本語の全訳が2分冊で出版されたのは1990年でしたから、原書刊行からはすでに40年以上、全訳刊行からも30年の歳月が流れたことになります。この間に訳書は版を重ね、2020年6月の時点で20刷を数えています。これは数多いブルデューの著作の訳書中でも、ひときわ突出した売れ行きと言っていいでしょう。その意味で、この書物は日本の出版界においてすでに「現代の古典」としての地位を確立したと言っても差し支えないように思われます。なぜ『ディスタンクシオン』のように難解で高価な書物が、日本でこれほどのロングセラーになっているのでしょうか。それはこれが異論の余地なくブルデューの代表作であり、その仕事のエッセンスを知る上での「必読書」という位置づけにあるからでもあるでしょうが、それだけでは説明がつきません。おそらくこの本で展開されている社会分析の方法が、おもに1960年代から70年代にかけてのフランスを対象としたものであるにもかかわらず、1990年代以降の日本社会の分析にも少なからず応用可能なものであったことが、売れ行きの息の長さに大きく与ってきたのでしょう。
しかしながら実際に読んでみると、ブルデューの文章はきわめて入り組んでいて、およそ一読了解というわけにはいかない代物であることがわかります。そもそも原文のフランス語自体がフランス人でもなかなか理解できないたぐいのもので、一般読者はもちろんのこと、専門家であっても「よくわからない」という人は少なくありません。ましてや翻訳を通して接した日本の読者の中には、思いきって挑戦してはみたものの、途中で投げ出してしまったという人も相当数おられるのではないでしょうか。
そんな読者のために、私は訳者としての責任を果たすという意味もあって、1993年に『差異と欲望』という解説書を藤原書店から刊行しました。これはブルデューが『ディスタンクシオン』において特段の定義ぬきで当然のように駆使している「文化資本」「慣習行動」「社会空間」「ハビトゥス」「場」等々の主要な概念を抽出し、私なりに敷衍しながら、この巨大な建造物ともいうべき書物の構造を解きほぐそうと試みたものです。
この解説書が日本人読者のブルデュー理解を進めることにどれほど寄与することができたかは正直のところわかりませんが、その後は日本でもこれらの概念を応用した社会分析の試みが数多くなされるようになり、「文化資本」や「ハビトゥス」といった用語はいろいろな文脈で、特に定義する必要もなく用いられるようになってきました。こうした経緯を見る限り、ブルデュー社会学もわが国にかなり定着してきたと言えるのかもしれません。
とはいうものの私自身、全体を訳したとはいっても、およそ原書の内容をじゅうぶんに咀嚼できたと言い切ることはできませんでした。また、解説書というのはそもそも自分に理解できた範囲でしか書くことができないものですから、著者の言わんとするところを不正確に解釈したり、自己流にパラフレーズしたりした箇所も少なからずあったのではないかと思います。その結果、重要な部分を簡略化しすぎて取り逃がしてしまったところがないとは言えません。
一方、この30年間、グローバル化の加速やインターネットの普及、デジタル化の急速な進行などにともなって、日本社会もかつてないほど大きな変容を遂げました。21世紀も20年が過ぎた現在、私たちはけっして1990年代と同じ生活環境に生きているわけではありません。特に近年は「格差」という言葉がさまざまな局面で口にされるようになっており、目に見えにくいところで社会を分断する階層化が深刻さを増しているような印象を受けます。
「格差」の変遷
私は経済学者でも社会学者でもありませんので、詳細な分析はその道の専門家に譲りますが、ごくおおざっぱなアウトラインを確認しておけば、戦後の日本では財閥解体や農地改革などの民主化政策が推進され、戦前までの極端な経済格差は急速に解消される方向にむかいました。そして1960年代の高度成長期には「一億総中流」という言葉が生まれるまでに平等化が進行し、1970年代から80年代初期にかけての安定成長期にも、基本的にこの構造は持続していたと言えます。ところが1980年代の後半にバブル景気が始まると、土地や株式などの極端な高騰によって儲けた人と儲けそびれた人の経済格差が一気に拡大し、戦後社会の平等神話はもろくも崩れ去りました。1990年代の初期にバブルがはじけ、急激な格差の拡大には歯止めがかかったように見えるものの、世紀が替わるまで続いた長期不況(俗に言う「失われた10年」)のあいだにふたたび平等化が進んだかというと、かならずしもそうとは言えないようです。「一億総中流」幻想が復活する気配は見えず、格差はあるレベルで定着したというのが多くの専門家の見立てであり、また一般市民の実感でもあるように思われます。
20世紀末に相次いで刊行された橘木俊詔氏の『日本の経済格差――所得と資産から考える』と佐藤俊樹氏の『不平等社会日本――さよなら総中流』は、この問題をいち早く論じた先駆けと言ってもいい2冊でしょう。
前者は、「1980年代後半のバブル経済の時期、土地や株式の資産価格が急騰し、資産分配の不平等化が叫ばれたが、バブルの崩壊とその後の長期不況によって、資産分配の不平等は消滅したのだろうか」という問いを提起し、不平等を表す指標であるジニ係数を用いて詳細な分析をおこないながら、「バブルの崩壊によってやや沈静化したとはいえ、資産分配の不平等化がバブル期を中心にして頂点に達した。わが国の所得・資産分配はもう平等ではなく、平等神話は崩壊しつつある」という診断を下しています。
一方後者は、一時期(だいたい1990年前後に)マスコミで話題になった「お嬢さま」ブームの話から始め、たまたま手に取った雑誌の記事に「今やお嬢さまの究極の規準はどこの病院で産まれたかだ」とあったことが強烈に印象に残っているというエピソードを紹介した上で、「努力すればナントカなる」と「努力してもしかたない」の二重底が(当時の)日本社会の現状であること、そして「80年代前半までの戦後の階層社会は、それなりに「努力すればナントカなる」社会になっていったけれども、「20世紀の終わりと歩調をあわせるように、「可能性としての中流」は消滅し、さまざまな分断線がうかびあがりつつある」と指摘しています。
経済学者と社会学者という違いはあれ、2人の基本的な立場は「一億総中流」意識の終焉と平等社会神話の崩壊を認める点で一致していることがおわかりでしょう。そして現在もこの状況が大きく変化したようには思われません。それどころか、さまざまなところで格差はむしろ拡大しつつあるようにも見えます。さらに2020年には新型コロナウイルスの感染拡大という、予期せぬできごとが全世界を混乱に陥れ、さまざまな局面でこの流れに拍車をかけました。この傾向がどこまで続くのか、誰も見通すことができないというのが正直なところです。
このように、現代日本は格差社会であるということはすでに大方の共通認識となっている感があるのですが、ひと口に「格差」と言っても、その内実はかならずしも一様ではありません。最も目に見えやすく数字的に把握しやすいのは経済格差でしょうが、そこからは目に見えにくい形でさまざまな二次的・三次的な格差が派生します。昨今しばしば人々の口の端にのぼるようになった「教育格差」や「地域格差」などはその典型でしょう。
そんな現状を踏まえてみたとき、「趣味」という切り口でフランス社会における階層化のメカニズムを分析した『ディスタンクシオン』という書物を現代的文脈でもう一度読み直し、そこから汲み取れることをあらためて整理しておくことには小さからぬ意義があるのではないかというのが、本書の出発点にある認識です。
講義の方針
さて、『ディスタンクシオン』とはどういう書物かといえば、「趣味と階級」の関係を膨大な資料に依拠して実証的に分析した研究書である、とひとまずは要約することができると思いますが、邦訳で二巻千頁にも及ぶ書物の内容を、ただ「趣味と階級のあいだには密接な関係がある」とひとことで済ませることはもちろんできません。『差異と欲望』ではいくつかの主要概念を抽出して解説しながら、この書物の内容を私なりに再構成するという方法をとりましたが、同じことを繰り返しても意味がありませんので、ここではむしろ本文の流れに沿って各章を順に読み進めるという形をとることにしたいと思います。つまり、いわゆる講義形式で読者と一緒にこの書物を「講読する」というのが、本書の基本的なスタンスです。おもな受講者としては、かつてこの書物に挑戦しようと試みて挫折した読者、あるいはまだこの書物を一度も開いたことのない読者の方々を想定していますが、もちろんすでに『ディスタンクシオン』を通読したことのある方にも、ぜひ参加していただきたいと思います。
訳書は2分冊に分かれていますが、原書は1冊で、全体の目次構成は次の通りです(大項目のみ抜粋)。
序文
第Ⅰ部 趣味判断の社会的批判
1 文化貴族の肩書と血統
第Ⅱ部 慣習行動のエコノミー
2 社会空間とその変貌
3 ハビトゥスと生活様式空間
4 場の力学
第Ⅲ部 階級の趣味と生活様式
5 卓越化の感覚――支配階級
6 文化的善意――中間階級
7 必要なものの選択――庶民階級
8 文化と政治
結論 階級と分類
追記 「純粋」批評の「通俗的」批判のために
大学の講義では各回の授業内容を記した「シラバス」を公表することが求められますが、これに倣っていえば、ここでは1~8のアラビア数字で示された各項目の見出しがシラバスの目次に相当すると考えてください。ただし、毎回の講義は各章の内容の要約でもなく、網羅的紹介でもないことを、最初にお断りしておきます。総花的な解説を加えるよりも、まったく予備知識も先入観もない読者が初めて『ディスタンクシオン』を読み進めていく立場に立って、著者がそこでいったい何を語ろうとしているのか、何を読者に伝えようとしているのかをできるだけ嚙み砕いて言葉にすることが、本書の基本的な方針です。
また、以下の記述はかならずしも原書の展開に沿って進むとは限りません。ブルデューは同じことを別の言い方で何度も繰り返す傾向がありますので、ある章で提起された話題を別の章で確認することはしばしばありますし、逆に講義の流れに組み込みにくい箇所については、思いきって割愛する場合も少なくないと思ってください。もし説明が不十分と感じられた場合は、これを補うものとして『差異と欲望』をあわせて読んでいただければ幸いです。
【イベント情報】2021年1月16日(土)20:00~21:30 石井 洋二郎 × 鹿島 茂、石井 洋二郎『ブルデュー『ディスタンクシオン』講義』を読む
書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第25回のゲストは東京大学名誉教授、地域文化研究・フランス文学をご専門とされる石井洋二郎さん。メインパーソナリティーは鹿島茂さん。https://allreviews.jp/news/5215