書評

『ロートレアモン 越境と創造』(筑摩書房)

  • 2017/08/31
ロートレアモン 越境と創造 / 石井 洋二郎
ロートレアモン 越境と創造
  • 著者:石井 洋二郎
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(600ページ)
  • 発売日:2008-10-00
  • ISBN-10:4480836454
  • ISBN-13:978-4480836458
内容紹介:
深い謎につつまれた『マンドロールの歌』を遺して24歳で世を去った天才詩人ロートレアモン-。南米のモンテビデオから南仏のタルブ、ポー、そしてパリへと"越境"を繰り返した生涯を、実証研究の成果を踏まえて詳細に跡付け、文化的二重国籍者デュカスの作品創造の真実に多角的に迫る、画期的な詩人論。

二つの言語がはぐくんだ詩人の相貌

猟奇的な少年犯罪が起きるたびに頭をよぎる本がある。ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』だ。肥大した自我を抱えながら学校にも家庭にも居場所のない孤独で早熟な少年が唯一の捌(は)け口として残忍な快楽殺人の夢想をつむぎ、大袈裟(おおげさ)な偽名に隠れて自己の存在を強烈にアピールする。ここまでは両者は共通している。ただし、少年犯罪者たちが夢想を現実に移してしまったのに対し、ロートレアモン伯爵は異常な想像力を文章に流し込む天才に恵まれていたため、散文詩の傑作『マルドロールの歌』を書きあげて夭折(ようせつ)する。その作品はブルトン、バシュラール、ブランショなど並み居る文学者を驚嘆せしめた。

では、ロートレアモン伯爵とはいったいどんな人物だったのだろうか? 私が栗田勇訳の現代思潮社版で読んだ一九六〇年代までは、ロートレアモン伯爵とは、南米ウルグアイの首都モンテビデオに生まれたイジドール・デュカスという青年の偽名で、もう一冊『ポエジー1・2』という詩論を本名で残したという事実を除くと、普仏戦争とパリ・コミューンの時期にパリで死んだということくらいしか判(わか)らず、一葉の写真さえ発見されてなかった。

こうした「顔のない詩人」というミステリアスな著者像と、作品の異様な内容とがあいまって謎が謎を生み、シュールレアリストに偶像視されるかと思えば、構造主義者や精神分析学者たちの試みるアクロバティックな内的分析の対象となった。

ところが、一九七五年、ジャン=ジャック・ルフレールという研究者が『マルドロールの歌』に実名で登場する友人ジョルジュ・ダゼットの娘の家を訪ねて、代々伝わるアルバムを調べ、ジョルジュの隣に張られた青年の写真を見つけだしたことから、ロートレアモン伯爵は目出度(めでた)く(?)「顔のある詩人」となったのである。

その青年の顔は、シュールレアリストたちが夢想した天使的な顔とは掛け離れていたが、とにかく、写真が発見されたことをきっかけにして詩人の伝記的事実の発掘が進み、いまでは、ロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカスは初期のミステリアスな相貌(そうぼう)を完全に失って、戸籍謄本(一八四六年四月四日、モンテビデオ生まれ)と死亡届け(一八七〇年一一月二四日、パリで死去)をもつ歴史的に同定された文学者となっている。かの有名な「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的出会い」というフレーズでさえ、モンテビデオで発刊された企業・個人名鑑一八六九年版の広告欄に同時掲載されていたミシンと雨傘と外科手術の道具からの連想ではないかと考えられている。

本書は、日本におけるロートレアモン研究の第一人者が、こうした伝記的発見のすべてを踏まえた上で、「とかく二律背反的にとらえられがちな二つの研究方法、すなわちテクスト分析(内的読解)と実証研究(外的読解)を可能な限り有機的に連動させるよう心がけながら」書き上げた、語の正しい意味での労作である。

そのために採用された視座は「越境と創造」である。越境とはフランス語とスペイン語、私と君という人称、詩と散文、大地と空、死と生といったレベルで「世界を分節している可視的・不可視的な境界を横断して踏み越える」ことであり、創造とは、人が自らの生の痕跡を残そうと試みる「模索や葛藤(かっとう)、逡巡(しゅんじゅん)や挫折」を包括する。いいかえると、イジドール・デュカスが何かを越境することで苦しみながら創造したその現場を的確に捉(とら)えて、そこからテクストと伝記の両方に分析のメスを加えていこうというのである。では具体的にはどのようにして作業が進められていくのか?

一例を挙げよう。著者はルフレールがデュカスの生まれ故郷の親類の家で発見した、デュカス自身の書き込みのあるスペイン語訳『イーリアス』に関して考察を巡らし、デュカスが父母(父は在ウルグアイ・フランス副領事)の言葉であるフランス語とウルグアイの公用語であるスペイン語を自由に操るバイリンガルでありながら、「二つの言語を完璧(かんぺき)に使い分けていたわけではなく、両者をしばしば混用していた」という事実に注目し、「イジドール・デュカスのスペイン語に見られるのとパラレルな事態が、まさにロートレアモン伯爵のフランス語にも見られる」のではないかと問題を立てる。すなわち、まずスペイン語表現が浮かび、それがそのままフランス語に変換されたとするなら「『マルドロールの歌』の少なくとも一部分は潜在的にスペイン語で書かれていたともいえるのではないか?」と仮説し、「この作品のエクリチュールは、フランス語の構造をスペイン語のそれが内側から食い破るようなメカニズムを内包しているという意味で、本質的に『他なるもの』へと常に押し開かれてゆく逆説的な実践であり、意図せざる言語的越境の営為であったといえるのではないか」と結ぶ。

日本におけるフランス文学研究の標高の高さを広く知らしめる一冊。
ロートレアモン 越境と創造 / 石井 洋二郎
ロートレアモン 越境と創造
  • 著者:石井 洋二郎
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(600ページ)
  • 発売日:2008-10-00
  • ISBN-10:4480836454
  • ISBN-13:978-4480836458
内容紹介:
深い謎につつまれた『マンドロールの歌』を遺して24歳で世を去った天才詩人ロートレアモン-。南米のモンテビデオから南仏のタルブ、ポー、そしてパリへと"越境"を繰り返した生涯を、実証研究の成果を踏まえて詳細に跡付け、文化的二重国籍者デュカスの作品創造の真実に多角的に迫る、画期的な詩人論。

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毎日新聞 2008年12月21日

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