書評
『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版)
UFOの降りない場所
ふたつの塔がそびえる道路わきにうずくまった未確認飛行物体の丸窓は、そのなかで執り行われている秘儀をなにひとつ外に漏らさず、つめたい金属の地肌に埋もれるように、固く閉ざされたままである。まだ夕闇迫らぬうちに堂々と地上に降り立ったこの円盤は、しかし特殊なエネルギーで稼動するのではなく、目の前にそそり立つ電柱に動力源を求めているらしい。地球に迷い込んだ異星人を迎えに来る宇宙船が、子どもたちをマウンテンバイクで走らせるにじゅうぶんな起伏のある新興住宅地の、かろうじて残された林間の空き地に姿を現わすスピルバーグの『E.T.』とはちがって、『TOKYO SUBURBIA』に登場する銀色のUFOの乗組員は、はじめから私たちとおなじ恒星「サバービア」の住人であることを明かしている。おとぎ話やディズニーの絵本や乗り物図鑑みたいな厚紙に再現されているホンマタカシの、英語で表記するほかない東京近郊の造成居住区は、一般書籍とは別扱いでもうけられた書店の外の回転棚と同様、どこにでもあって、かつどこにもない、トポスを欠いた奇妙な真空地帯である。濃い闇に炸裂する建物よりはるかに低い仕掛け花火が、かりにUFOを招来するための儀式だとしても、真の地球外生物など望むべくもないことは誰もが承知している。不徹底な差別化がかえって個性を打ち消している「サバービア」じたい、すでにして地球の外にはじき出された、中心も境界もない永遠の通過点にすぎないからだ。
湘南国際村をとらえた巻頭の一枚で、はやくも私たちは日常の裏面に連れ込まれる。すみずみまでピントがあって、いかなる細部にも突出したドラマが与えられていない、雑然として同時に平板な書き割り。植え込みに伸びる細い立木が、中央に配された空色の二階家にある煙突やそのまえの街燈、消火栓の看板、車両の進入を防ぐ鉄柱、アメリカ式の郵便受けなどといっしょに気のない垂直の世界を形作り、そのあいまに赤茶けたむき出しの地肌がひろがっている。垂直と過疎。ホンマタカシの世界に染み込んでいるのは、このふたつの様相だ。子どもたちは、上に伸びる力としどけなく横にひろがる力の有効線分上で、たとえば「ベイエリア」と名前をつけてしまったがために無理やり植えられた棕櫚や蘇鉄と交信しつつ、不必要な重力に耐えている。天井近くまでのぼった風船を見つめる少年の胸には、室内だというのに《OUTDOOR》のロゴがあり、陽光の射し込むファーストフードの店には、地上でありながら《SUBWAY》の文字が見える。彼らはそんな矛盾などものともしないで、ケンタッキー・フライドチキンの化身カーネル・サンダースと、マクドナルドの狂言回しドナルドが浮かべる固着した笑みにあらがうかのように、唇を薄くあけたり、きつく閉じたりしているのだ。
地方から移り住んだ、あるいは都心の賃貸を引き払って郊外の家を買った親たちの姿は、いそいそと住宅展示場へむかう小さな背中以外、ここには登場しない。かつては「サバービア」にふさわしかった家族の、いや「ファミリー」の像がすこんと抜けた本書のなかでなんとか存在感を保っているのは、UFOすら降り立たない均質空間、というよりUFOがファーストフードやファミレスと化して遍在する土地で生まれ育った子どもたちの眼差しだけである。一種の見立ての真実のなかに隠された、暮らしのかすかな痕跡。肌の色や根源的な階級差もきれいに捨象された、本当は見せたくない舞台裏の梁やごまかしを正確に見据えるために必要な距離。荒木経惟が指摘するように、それを遠景と近景のあいだの近中景と呼ぶこともできるだろう。近中景の選択とは、物語への寄りかかりをあらかじめ禁じる覚悟の表明であり、「トウキョウ・サバービア」をたどるにはたぶんこれ以外にない、誠実で、酷薄な視線の謂なのである。
その意味で、別紙に「幕張ベイタウン」と記された最後の一枚は象徴的だ。模型であることが一目瞭然の写真を締めくくりに用いるのは文脈の造りすぎかもしれない。しかしその模型と多摩ニュータウンが、浦安の高層住宅が、デッキに置かれた赤い犬小屋が偏差なくならんで、ほとんど区別がつかないことに気づいた瞬間、実物がより虚構らしく、そして虚構がさらに虚構らしく輝く転倒の図式が鮮やかに示され、ありのままの現実とも仮想現実とも異質な、アトピックな空間が剛毅に差し出される。
とはいえ、シベリアの漁港を思わせる雪の埋め立て地のむこうでかすかに煙を吐いている工場の煙突や、タンカーが走る海面に反射したカネフスキーの映画にでも使えそうな光や、ディズニーランドの広大な駐車場を包む夕靄の層を、それがどのような世界に属するものであれ私は美しいと想うし、こちらを凝視する紺のトレーナーの少年や白いブラウスの少女の目もとや口もとにも心を揺さぶられる。徹底した平面性のうちに挿入された彼らのつよい眼差しの底には、夜昼の区別なく青白い閃光を放つ統一規格のUFOの入口で私たちを誘う微笑みと紙一重の、形にならない愛があり、また憎しみがある。それを画面に定着させたホンマタカシの目線だけが深く現実に根を下ろして、架空への参入をみごとに拒んでいる。
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初出メディア
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