新鮮な比喩、生々しい皮膚感覚
第2次大戦直後の1948年、20代前半でデビューした本書の著者は、2010年にスペインでもっとも権威ある文学賞の一つ、セルバンテス賞を受賞した。スペインの現代文学は、同じスペイン語圏でも中南米のそれに比べて、邦訳点数が少ない。それは、一つには30年代後半スペインを席巻した、内戦のせいかもしれない。その後70年代半ばまで続いた、フランコ政府の厳しい言論統制は、反体制的な作品の発表を困難にし、創作活動に大きな制約をもたらした。創作者は、体制批判を声高に行うことができず、別の時代背景や事件に託して、その矛盾を描かざるをえなかった。そのために、スペイン現代文学は妙にシュールだったり、韜晦(とうかい)的だったりして、翻訳されにくい憾(うら)みがあった。
本書も実は、その時代の作品の一つである。旅芸人ディンゴは、故郷の町を通りかかったおり、子供を馬車で轢(ひ)き殺して、警察に拘束される。ディンゴは、幼なじみの大地主フアン・メディナオに、助けを求める。そこから、一転して著者の視点と関心はフアンに移り、その幼時からの思い出が、綴(つづ)られていく。ことに、父親が使用人に生ませた異母弟、パブロ・サカロとの確執が、緊張感を高める。内戦以来の、スペインの社会状況を知っていれば、フアンとパブロの生き方が何を象徴しているか、容易に想像できるだろう。
しかし、そうした背景を知らなくても、この小説を読むのに、いっこうに差し支えはない。骨肉の争い、個人と集団の戦い、美と醜の対立といった、人間社会に普遍的なテーマが、そこに力強く描き出されているからだ。著者のレトリックは多彩で、比喩表現はまことに新鮮というべく、生なましい皮膚感覚がある。
こうした小説を、閉塞(へいそく)感に満ちた50年代前半、30歳に満たぬ若い女性が書き上げたことに、驚きを禁じえない。