コラム

ハードボイルドは裏切りの文学か

  • 2017/07/01
ここ一、二年の間にわたしは長編『百舌の叫ぶ夜』と『カディスの赤い星』、短編集『クリヴィツキー症候群』と『水中眼鏡の女』を世に出した。

百舌の叫ぶ夜   / 逢坂 剛
百舌の叫ぶ夜
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(456ページ)
  • 発売日:2014-03-20
  • ISBN-10:4087451666
  • ISBN-13:978-4087451665
内容紹介:
能登半島の岬で記憶喪失の男が発見された。一方、東京新宿では爆弾テロ事件が発生。犯人を追う公安警察の倉木と美希は、やがて男へと辿り着き──。サスペンス傑作長編。(解説/船戸与一)


ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

新装版  カディスの赤い星  / 逢坂 剛
新装版 カディスの赤い星
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(480ページ)
  • 発売日:2007-02-10
  • ISBN-10:4062756404
  • ISBN-13:978-4062756402
内容紹介:
フリーのPRマン・漆田亮は、得意先の日野楽器から、ある男を探してくれと頼まれる。男の名はサントス、二十年前スペインの有名なギター製作家ホセ・ラモスを訪ねた日本人ギタリストだという。サントス探しに奔走する漆田は、やがて大きな事件に巻き込まれてゆく。直木賞を受賞した、著者の代表傑作長編。第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回冒険小説協会大賞受賞作。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

クリヴィツキー症候群  / 逢坂 剛
クリヴィツキー症候群
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(313ページ)
  • 発売日:1990-01-00
  • ISBN-10:4101195110
  • ISBN-13:978-4101195117
内容紹介:
ソ連大使館員殺害の容疑で逮捕された大学教授・荻野が、突如聞き慣れぬロシア人名を口走り、精神鑑定に持ち込まれた。自分は元ロシア赤軍情報部スパイ、クリヴィツキー将軍の生まれかわりだと言うのだ。彼の心神喪失状態なのか、それともなにか他の可能性が?謎は深まるばかり―。スペイン現代史が趣味という私立探偵・岡崎神策が活躍する、表題作など五編の連作ミステリー。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

水中眼鏡の女  / 逢坂 剛
水中眼鏡の女
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(295ページ)
  • 発売日:2003-02-20
  • ISBN-10:4087475425
  • ISBN-13:978-4087475425
内容紹介:
黒い水中眼鏡をかけた女が、精神科医の前にあらわれた。ある朝、突然目が開かなくなってしまったという。自宅で発生した火事によって夫を失ったことが原因かと思われたが-。治療が進むにつれ、驚愕の真実が浮かび上がっていく表題作ほか、難病の妻の介護人として雇われた女性が、歪んだ夫婦関係に巻き込まれていく「ペンテジレアの叫び」など。サイコサスペンスの傑作全三篇を収録。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

この四冊にはたまたま、わたしの書く小説のいくつかのジャンルがうまく配分されている。つまり、『百舌』は警察官を主人公にしたハードボイルド小説であり、『カディス』はスペインを舞台にした冒険小説、『クリヴィツキー』は同じくスペインをテーマにした蘊蓄(うんちく)小説、そして『水中眼鏡』は精神病理を扱ったサスペンス小説という次第である。もっとも、意識して書き分けたわけではない.それらは一つの幹から枝分かれした兄弟にすぎない。その幹とは《ハードボイルド》の精神である。

わたしはハメット、チャンドラーに代表されるハードボイルド小説の、熾烈な洗礼を受けて育った世代に属している。そもそも《ハードボイルドとは何か》という議論は永遠の命題であって、その定義はハードボイルド作家の数と同じだけあるといってもよい。時代や国柄によって、概念が異なったり変化したりもする。一九七〇年代以降の《ネオ・ハードボイルド派》と呼ばれるものにいたっては、ハードボイルドという名を冠するのもはばかられるくらい、非ハードボイルド的な色彩を帯びている。

試みに日本の状況をみてみよう。

北方謙三さんは、日本では銃の使用があまりなじまないところから、主に肉体と鉄拳によって暴力の世界を描く試みをしている。北方さんはヘミングウェイの乾いた簡潔な文体を、日本語という情緒的な言語に移し替えることに、みごとに成功した。それだけではない、例えば「棒。」とただ一語書くことによって、読む者にその棒で殴りつけられたような衝撃を与えた。そうした斬新な文章表現の発見に、独特の感性と嗅覚が感じられる。

また彼はあるとき、自分の描くハードボイルド小説の源流を、かつての日活のアクション映画に求めると語った。アメリカに生まれたハードボイルドの概念を、日本の特殊な風土に移植しようとするとき、それはある意味で必然的な帰結だったかもしれない。

船戸与一さんは、作家になる決心をするまで、小説のたぐいを読んだことがないと豪語する、型破りの人である。船戸さんの原点が、ハメットにあることははっきりしている。何年か前、彼が『非合法員』でデビューしたとき、処女作にしてすでに自分のスタイルを確立していることに、羨望に近い驚きを感じた覚えがある。そのスタイルは、わたしの目には明らかに、ハメットのそれを志向しているように思われた。のちに語ったところによれば、彼は小説なるものを書くにあたって、ハメットやチャンドラーの作品を徹底的に分析したという。そして躊躇なくハメットのスタイルを選んだばかりか、チャンドラーこそハードボイルドを堕落させた張本人である、と喝破した。

非合法員  / 船戸 与一
非合法員
  • 著者:船戸 与一
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(483ページ)
  • 発売日:2015-01-05
  • ISBN-10:4094061169
  • ISBN-13:978-4094061161
内容紹介:
船戸与一衝撃のデビュー作堂々刊行 1977年、非合法員として世界を舞台に暗躍する神代恒彦のもとに、メキシコ内務省保安局から1968年に起こった学生反乱の実質的指導者の四人を始末するよう… もっと読む
船戸与一衝撃のデビュー作堂々刊行

1977年、非合法員として世界を舞台に暗躍する神代恒彦のもとに、メキシコ内務省保安局から1968年に起こった学生反乱の実質的指導者の四人を始末するよう依頼が入る。その見返りとして高額の報酬を受け取るはずだった神代だが、仲間のベトナム人、グエン・タン・ミンの裏切りに遭い、まんまと金を持ち逃げされてしまう。グエンを捜し出し報酬を取り戻そうとするものの、神代の行く手を、何者かが次々と阻んでいく。最初は、全てグエンの仕組んだ罠だと思っていた神代だが、実は、強大な組織が自分の命を狙っていることがわかり・・・・・。神代は、過去にいったい何をしたのか?なぜ命を狙われているのか?最大にして最高のスケールで描く船戸与一処女作。巻末に、著者特別寄稿『デビュウ事情』を掲載。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

船戸さんは「優れたハードボイルド小説とは帝国主義の断面を完膚なきまでに描いてみせた作品をいう」と定義している。彼の作品は間違いなく、その定義を体現しようとする努力の連続といえる。

志水辰夫さんも冒険小説、ハードボイルド小説の旗手の一人とされるが、北方さんや船戸さんとはまた一味違う趣を秘めている。志水さんの文章には、日本の風土や自然といったものに対する強い畏敬の念があり、それらと折り合いをつけながらハードボイルド小説を書こうとしているように思われる。彼の描き出す豊かな地方色、綿密な風景描写は、このジャンルの他の作家に見られないきわだった特徴である。彼が描こうとしている闘いは、人間対人間というよりも、人間と自然のぶつかり合いといった方が適切かもしれない。

かつてアメリカの評論家アンソニー・バウチャーは、《ハメット・チャンドラー・マクドナルド・スクール》と称して、これら三人の作家に正統ハードボイルド派のお墨付きを与えた。今にして思えば、この括(くく)り方はかなり乱暴なものであった。三人ともまったく資質の異なる作家であり、作風も違えば文体も違う。共通点といえば、私立探偵を主人公にした小説を書いたということだけである。同様に、北方、船戸、志水の三氏も、共通点より相違点の方が多い。彼らを一つのラベルで括ることは、文学史的な観点からは便利であろうが、作家としての本質を見誤る恐れがある。

わたし自身もまた、作品のタイプがいくつかに分かれているため、一つのラベルで括りにくい作家の一人といえるだろう。わたしはそれでいいと思っているし、まして自分から××作家などと看板を掲げるつもりは毛頭ない。アメリカの作家ディーン・クーンツが言うように、一度貼られたラベルをはがすにはたいへんな努力がいる。今あげた三人の作家もわたしも、通奏低音としてハードボイルドの精神を堅持しているし、そのほかこの分野で活躍する若手の作家にも、同様の気概を秘めた人が何人かいる。ラベルは別々でも、志は同じである。手垢がついて久しい《ハードボイルド》という言葉に、いまだにある種の神通力が存在すると信じる同志がいることは、まことに心強い。

(次ページに続く)
  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ

初出メディア

中央公論

中央公論 1987年秋

雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。

関連記事
ページトップへ