書評

『百年の孤独』(新潮社)

  • 2017/09/01
百年の孤独 / ガブリエル ガルシア=マルケス
百年の孤独
  • 著者:ガブリエル ガルシア=マルケス
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(492ページ)
  • 発売日:2006-12-01
  • ISBN:4105090119
内容紹介:
蜃気楼の村マコンド。その草創、隆盛、衰退、ついには廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の、一人からまた一人へと受け継がれる運命にあった底なしの孤独は、絶望と野望、苦悶と悦楽、現実と幻想、死と生、すなわち人間であることの葛藤をことごとく呑み尽しながら…。20世紀が生んだ、物語の豊潤な奇蹟。

ガブリエル・ガルシア=マルケス(Gabriel Garcia Marquez 1928-2014)

コロンビアの作家。新聞記者として渡欧中に第一長篇『落葉』(1955)を出版。帰国後、記者や脚本の仕事のかたわら創作に打ちこみ、『百年の孤独』(1967)で大成功を収める。1982年にノーベル文学賞を受賞。そのほかの著作に、独裁者を題材にした『族長の秋』(1975)、作者自身が最高傑作と自負する『予告された殺人の記録』(1981)、短篇集『エレンディラ』(1972)などがある。

introduction

「無条件におもしろい小説を一冊だけ推薦せよ」と言われれば、迷わずに『百年の孤独』をあげる。定番すぎで気が引けるくらいだ。この作品をツマラナイという小説読みがいるとしたら、よっぽどのヘソ曲がりである。ガルシア=マルケスはたくさんの著作が翻訳されているが、小説世界への入りやすさ、読みやすさという点でも、『百年の孤独』がいちばんだろう。この作者はしばしば、ラテンアメリカのいわゆる“魔術的リアリズム”の代表作家のように扱われるけれど、実際はリアリズム寄りの作品のほうが多い。まあ、そのリアリズムも一筋縄ではいかないのだが。『百年の孤独』を入門編として、さらに別の作品にも手を伸ばしてみるといい。しかし、ぜいたくな入門編だなあ。

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死んだことがよくわからずに、俗っぽい感覚の抜けぬまま、この世をうろうろしている。ぼく自身がそうなると思うとあまりぞっとしないが、他人ごとならば、ヘンテコでおかしい。『百年の孤独』には、そういう人物が何人も登場する。あからさまな幽霊もいれば、みんなには見えているのに息子だけに見えないという者もおり、逆に特定の人の前だけにあらわれるという場合もある。最後のケースは幻覚なのかもしれないが、この小説のなかでは客観と主観の区別は判然としない。

そうした死人のなかでもきわめつけは、ジプシーのメルキアデスだ。彼はもともとは生きた人間で(あたりまえだ)、この作品の舞台となる南米の村マコンドが開拓されたばかりのころから、仲間と一緒に繰りかえしこの土地を訪れては、磁石や望遠鏡や入れ歯といった驚異の新発明を紹介し、また世界をめぐるために去っていく。ある年、ジプシーの一群はやってきたものの、メルキアデスの姿が見あたらない。聞けば、遠いアジアの地で病死したという。ところが、その数年後にはなにごともなかったように、またメルキアデスがマコンドにやってきたではないか。そして、かねてからの知己であった村の統率者ホセ・アルカディオ・ブエンディーアと交流を深め、その家に迎えられる。怪しげな研究に取りくんでいるとはいえ、生活ぶりはまったく生身の人間とかわらない。やがてある日、メルキアデスは川の危険な個所にはまりこんで溺死をする。その少し前に、彼が「わしはシンガポールの砂州で、熱病にやられて死んだはずだな」とつぶやいていたのを、ホセ・アルカディオの息子が耳にしていた。つまり二度死んだわけだ。しかも、その後も亡霊として、何度となくブエンディーア一家の前にあらわれる。

メルキアデスは、おびただしい人物がひしめく『百年の孤独』のなかでも重要な役割を担っているひとりだ。亡霊となってからは登場場面がかぎられてしまうが、彼が生前(あるいは一度目の死と二度目の死のあいだ)に残した羊皮紙の書きつけは、この作品そのものの成り立ちを示す、あるいはマコンドの時空間を記述した秘文書である。ブエンディーア家の“最後のひとり”アウレリャーノが、メルキアデスの暗号を解読することで、数世代にわたって綴られた『百年の孤独』は幕を閉じる。

最初にこの作品を読んで、この仕かけにたどりついたとき、頭がくらくらしたものだ。『百年の孤独』という書物のなかに、メルキアデスの文書という書物が入れこになっている。あるいは、マコンドの歴史という大宇宙が、羊皮紙という小宇宙に包含されている。

しかし、しばらく時間をおいて冷静になってから考えてみると、この仕かけが凄いというよりも、それによってひっくりかえされる“質量”が驚異的なのだと気づいた。たとえていうなら、梃子で何をもちあげるかということである。機構や原理はおなじでも、小石を動かすのと地球を動かすのでは、ぜんぜんちがう。

日常のなかを死者が平然と横行することをはじめ、この作品には旧弊な小説(自然主義文学の流儀)が認めてきたリアリティの幅を大きく逸脱している。いま思いつくままにあげても、ジプシーが持ちこんだ魔法の絨毯、子どものころから未来予知の能力をもっていた反体制の英雄、教会建立の資金集めのために空中浮遊を実演する神父、伝染性の健忘症に備えてあらゆるものに名札を貼りつける男、シーツに風を受けて昇天してしまう絶世の美女、廊下の片隅で縫いものをしている死神、自分の死を予感して冥界への郵便物を引き受ける女、仔牛のような啼声で病身の天使を思わせる姿の〈さまよえるユダヤ人〉、四年十一カ月ものあいだ降りつづいた長雨と、それがあがったとたんに訪れた十年間の旱魃【かんばつ】……まさに枚挙にいとまがない。また、マコンドを開拓した第一世代が周辺の地理をまったく知らず、周囲を海で囲まれていると思いこんでいたこと、ところが家出した息子を追っていった母親が偶然に外界につながる道を見つけて、文明との接触がはじまったことなど、神話的ともいえるエピソードも多い。愛と憎悪の悲劇が繰りかえされ、ときに愛が憎しみに、敵意が友愛へとかたちを変える。その一方で、政治的な対立による抑圧や裏切り、そのなかでの英雄が誕生、あるいはアメリカ資本による支配と搾取、それが去ったあとの経済的・文化的疲弊など、実際にあったラテンアメリカの歴史も色濃く影を落としている。

題材や逸話をひとつひとつ取りあげれば、これは空想的あるいは超現実的であるとか、これは実際にあったことをもとにしているとか、区分けすることもできる。しかし、そういう“外側”の尺度をわざわざ持ちこむのが徒労に思えるほど、『百年の孤独』の世界は緊密であり、また混沌としている。先ほど驚異的な“質量”と表現したのは、この世界のことだ。それは客観的に計測してもわかる。織りこまれたエピソードがすさまじく多い。しかも、エピソードとエピソードとが有機的につながり、さらに密度を高くしている。

ガルシア=マルケスは、ただ一作によって“百年の孤独”という文学ジャンルを創りだしてしまったのである。歴史のひろがりのなかで、たくさんの登場人物が複雑な関係を結び、むせるほどの生とうんざりするほどの死が特別な価値もなく描かれ、卑近な日常と奇蹟的な幻想、現実世界の苛烈さと神話の超時間性とが混淆して、おさだまりの感情移入をはねつける――そんな小説。『百年の孤独』以降、これに倣って、あるいはインスパイアされて書かれた作品は数知れない。たとえば、イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』、サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』、大江健三郎『同時代ゲーム』などは、直接・間接の影響の程度はともかくとして、『百年の孤独』があったからこそ生まれた作品だろう(言うまでもないが、だからといってこれらの独創性が低いわけではない)。また、「○○の百年の孤独」は新しい作品を売りだすとき、出版社がつかう常套句だ。しかし、その“質量”において『百年の孤独』を上まわる小説は、いまだあらわれていない。

【この書評が収録されている書籍】
世界文学ワンダーランド / 牧 眞司
世界文学ワンダーランド
  • 著者:牧 眞司
  • 出版社:本の雑誌社
  • 装丁:単行本(397ページ)
  • 発売日:2007-03-01
  • ISBN:4860110668
内容紹介:
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百年の孤独 / ガブリエル ガルシア=マルケス
百年の孤独
  • 著者:ガブリエル ガルシア=マルケス
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(492ページ)
  • 発売日:2006-12-01
  • ISBN:4105090119
内容紹介:
蜃気楼の村マコンド。その草創、隆盛、衰退、ついには廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の、一人からまた一人へと受け継がれる運命にあった底なしの孤独は、絶望と野望、苦悶と悦楽、現実と幻想、死と生、すなわち人間であることの葛藤をことごとく呑み尽しながら…。20世紀が生んだ、物語の豊潤な奇蹟。

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