この本は嵐山光三郎の最高傑作である
おもしろい! すばらしい! ぼくは近ごろ、老人になったので生活のリズムをなるべく狂わせないように注意深く生活している。読書して睡眠時間を削れば必ず後悔する。私はこの本のせいですっかり寝不足だ。ものすごくおもしろかった。
どんな本か、帯文を引用しよう。
きだみのるはファーブル『昆虫記』の訳者で、戦中『モロッコ紀行』を書いたブライ派の学者である。雑誌『世界』に連載した『気違い部落周游紀行』はベストセラーになり、(中略)映画化され、大ヒット。嵐山は雑誌『太陽』の編集部員であった28歳のとき、きだみのる(75歳)と、謎の少女ミミくん(7歳)と一緒に取材で各地をまわった。フランス人趣味と知識人への嫌悪。反国家、反警察、反左翼、反文壇で女好き。果てることのない食い意地。人間のさまざまな欲望がからみあった冒険者。きだ怪人のハテンコウな行状に隠された謎とはなにか。
28歳の青年が、75歳の怪人と運命的に出会う。そしてそこに少年のような7歳の少女。これは「きだみのる」の評伝であり、しかも嵐山光三郎の青春記でもある。
怪人にすっかりまいってしまっているだけではない。老人が周りから迷惑がられている様子も、その狷介(けんかい)さも弱みもズケズケ描写される。
著者の傑作『文人悪食』や『桃仙人』の文体は、この28歳の編集者時代の怪人との同行取材にはじまったものかもしれない。
しかし、この二著がそうであるように、この本も、対象への尊敬と友情がビリビリつたわってきて、それが読んでいてウレシイ。読者はロードムービーを見るように旅一行と「体験」を共有し、75歳の怪人のスケールと、その人生を少しずつ理解していくことになる。
男の子のような不思議な美少女がそこにいて、物語を読むような魅力がさらに加わる。
ミミくんはきだみのると行動をともにしているが、初めて会ったときは、きださんとどういう関係なのかはわからなかった。ミミくんはおテンバ娘で、自分のことを『ぼく』という。きださんに、『ミミくんとはどういう関係なのか』と訊(き)くと『わが同志だ』といわれた。ミミくんは『ぼくたちはコスモポリタンだよ。トーナンアジアへ行ったんだ』と補足した。(本文より)
この文のある対向ページに写真が一枚掲載してある。ベレー帽のお爺(じい)さん、ヒゲの青年、やさしい顔のカメラマン、そしてミミくん。この写真が、古手紙の入ったダンボール箱を片づけている時に、手紙の束のあいだからスルスルっと落ちてきたところから、この物語ははじまるのだ。
この写真から四十五年がたった。
「嵐山は七十三歳になった」
と、嵐山さんは書いている。
きだみのるは、名著をものした学者にして、すこぶる魅力的な怪人だが、私はその名著を未読である。
いま猛烈に、きだみのるの本を読んでみたいと思っている。その本がどれだけおもしろいか、どれだけ意義あるか、この本には一行も書いてないのに。
まちがいなくこの本は嵐山光三郎の最高傑作である。